(76) 黄昏の誘い
♪ あの人の姿懐かしい
黄昏の河原町
恋は 恋は弱い女を
どうして泣かせるの
苦しめないで
ああ責めないで
別れのつらさ知りながら
あの人の言葉想い出す
夕焼けの高瀬川 ♫
『京都慕情』 渚ゆう子
石畳に柳が揺れる京都河原町の高瀬川沿い、黄昏どきともなると しっとりとした趣を醸し出します。
京都東山 八坂の塔
華やかさと雅やかさがただよう京の都、しかし、そこには京の人々が怖れた異世界がありました。
慣れ親しんだ日々の生活空間とは異なる外の世界との境には、門や橋、辻といった「つなぐ場所」があり、その向こうに広がる世界を異界ととらえ、そこに禍々しい者、邪なる者がいると感じた時、境界の向こうは魔界となります。
現代でも、自分の背後や暗闇が不気味だと思うのと同じです。人々が恐怖や不安を感じれば、魔界への入口はどこにでも生まれます。
平安時代、大路小路は東西南北に整然と交差し、牛車や馬が行き交うなか、そのあちこちには「鬼」が息をひそめている場所があります。
「今昔物語集」では、冒頭の一話から地縛霊の憑く悪所が登場します。名前もずばり「鬼殿」。
鬼殿は三条大路と東洞院大路の辻の北東角にあり、いまだこの地が平安京となる前に落雷を受けて死んだ男の霊が住みついているという。雷に打たれ、一瞬にして命を喪ったその場所から離れず、辺りが都になり家が建っても居座り続けて、たびたび不吉な仕業をしてみせたのでした。
同じ東洞院大路を二条大路まで上がれば、「僧都殿(そうずどの)」という悪所もあります。
空き家に霊が住みついているらしく、黄昏どきには赤い単衣がひとりでに宙を舞って、西北隅の榎の枝に掛かるのだという。血気にはやって射落とした男がその夜のうちに死んだというから、よほど強い怨念を秘めた地縛霊らしい。
京 平安神宮
ここ「河原町」にも、町の名の由来にもなっている怪異譚で名高い「河原院(かわらのいん)」があります。
「河原院」は、平安京の六条大路の北、東京極大路の西に位置し、嵯峨天皇の皇子、左大臣 源融(みなもとのとおる)が隠棲した地と云われる邸宅です。
源融は、源氏物語の主人公 光源氏の実在モデルと云われています。
『源氏物語』「夕顔」の巻で光源氏が夕顔と宿った「某(なにがし)の院」は、この河原院をモデルにしています。
『源氏物語 四帖 夕顔』 より
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光源氏は「こんな気詰まりな所ではやりきれない。もっと心休まる所で、一緒に過ごそう」と、夕顔を誘いました。夕顔は、不安ながらも右近をお供に、牛車に乗りました。右近は夕顔の乳母子で、いつも一緒にいるのです。こうして、光源氏はある荒れ果てた院に出かけたのでした。
この院は人気もなく、見るからに気味の悪い所でしたが、二人はそこで睦まじく過ごします。
光源氏は、自分にうちとけた様子の夕顔が、本当にかわいいと思う一方で、今ごろは六条の女君も思い乱れているだろう、などと思っていました。
その夜のことです。宵を過ぎるころ、光源氏が少しまどろんでいると、枕元に美しい女がいて、「私がとてもすばらしいとお思い申し上げているお方を訪ねようともなさらず、こんなどうということもない女をお連れになって寵愛なさるとは、まことに心外でつらく思います」と、恨み言を言い、傍らの夕顔をかき起こそうとする夢を見ました。物に襲われるような気がして目を覚ました光源氏は、魔除けのために太刀を抜いてそばに置きました。そして、人を呼んで灯りを持ってこさせ、魔除けの弓の弦打ち(つるうち)を命じます。
やっと届いた灯りで夕顔を見ると、夢に現れた女の姿がふっとかき消えました。すると、なんということか、夕顔は既に息絶えていたのでした。右近は泣くばかり、光源氏も茫然とするばかりでした。
(以下省略)
夕顔に取り憑いた物の怪の正体は、光源氏の恋人で、身分と気位の高さから本心を隠していましたが、じつは光源氏を独占したいと思っていた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生き霊だったのです。
第四帖「夕顔」は、紫式部が描いた恋地獄(魔界)の姿です。
京 泉湧寺別院 雲龍院 「悟りの窓」
叡山電車鞍馬線「貴船口」駅の真下は鴨川の上流、貴船川。
渓谷の上に建つホームへ電車が滑り込むと、そこは緑したたる別世界です。
貴船川沿いに赤い灯籠が誘う貴船神社は、和泉式部の失恋エピソードがきっかけで縁結びの神として信仰されています。
男の不倫に悩んだ和泉式部が貴船神社に祈願すると、愛を取り戻すことができたといいます。以来、貴船神社の縁結びのご利益にあやかろうとする人は後を絶ちません。
そして貴船神社にはもう一つ、物語が生まれました。
恋に敗れた女性が鬼女と化し、自分を裏切った男を呪った女の悲しい物語りです。
この物語は能楽「鉄輪(かなわ)」として、現在に伝えられています。
能楽 「鉄輪」 (あらすじ)
ある夜、貴船神社の社人に夢の告げがありました。丑の刻参りをする都の女に神託を伝えよ、というものです。
真夜中、神社に女が現れました。女は、自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるため、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていたのです。社人は女に、三つの脚に火を灯した鉄輪「五徳」を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みどおり鬼になる、と神託を告げ、女とやり取りするうちに怖くなり、逃げ出します。
女が神託通りにしようと言うやいなや、様子は変わり髪が逆立ち、雷鳴が轟きます。雷雨のなか、女は恨みを思い知らせてやると言い捨て、駈け去りました。
女の元夫、下京辺りに住む男が連夜の悪夢に悩み、有名な陰陽師、安倍晴明を訪ねます。
清明は、先妻の呪いにより、夫婦の命は今夜で尽きると見立てます。男の懇願に応じて、清明は彼の家に祈祷棚を設け、夫婦の形代(かたしろ)「身代わりの人形」を載せ、呪いを肩代わりさせるため、祈祷を始めます。
そこへ脚に火を灯した鉄輪を戴き、鬼となった先妻が現れます。鬼女は捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打ち据え、男の形代に襲いかかりますが、神力に退けられ、時機を待つと言って姿を消します。
(幕)
貴船神社 参道
洛中(五条と伝えられています)の住居から、遙か貴船まで女は鬱々とした気持ちを抱えて、暗く淋しい道を辿って行きます。
「住むかいもなき同じ世の中に報いを見せ給え」
しかし、伝えられたお告げは、彼女自身が鬼となるという事でした。
我が手で思いを晴らす。女はそのお告げの通りの姿になります。
曲名となった「鉄輪」に灯された火は、女の嫉妬の炎。丑の刻の暗闇を照らす灯りではなく、心の闇を一層深める炎だったのです。
嵯峨嵐山 天龍寺のお地蔵さま (やさしい姿で、ひっそり、にっこり)
人々の苦悩を大慈悲の心で救ってくださるのがお地蔵さま(地蔵菩薩)です。京だけでも5千ものお地蔵さまが祀られているとか。
ぜひお地蔵さまを見かけた際には足を止めてみて下さい。静かに佇んでいる姿だけで心が癒やされます。