(73) 雪の音色
夜来の雪が降り止んで、静寂の朝を迎えた里は白と青に染め分けられていました。
近江湖西にて
この積もった雪にいのちを吹き込んだ詩人がいます。童謡詩人の金子みすゞです。
『積もった雪』
金子みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。
金子みすゞ童謡集『積もった雪』より
上の雪、下の雪、そして中の雪。
金子みすゞのまなざしは、積もった雪の中に入り込んでいきます。そこでふれた雪のこころ。
中の雪のさみしさに気持ちを重ねた金子みすゞの優しいこころに温もりを感じます。
しんしんと降る雪は音もなく降り積もり、静寂の世界を創りあげます。
一面の銀世界は音だけでなく、悲しみをも優しく包み込んでくれそうです。
雪で覆われた木々は、生き生きとした新緑の頃とは違った安らぎを与えてくれます。
優しさを秘めた、その美しさで癒やしてくれる感じです。
真新しいふかふかの雪を見ると、思わず手を突っ込み、雪玉を作って投げたくなります。
そう、雪は人に真っ白なこころをもどしてくれるのです。
メタセコイア並木の雪景色 近江マキノ高原にて
雪の降る日には、『枕草子』を手に取りたくなります。
時代を超えて、これほど雪を賞美した作品はないのではないかと思うほど、清少納言は雪が生み出す景色を愛でています。
枕草子 二五〇段 「降るものは、」
降るものは、雪。霰(あられ)。霙(みぞれ)はにくけれど、
白き雪のまじりて降る、をかし。
枕草子 二五一段 「雪は、」
雪は檜皮葺(ひわだぶき)いとめでたし 少し消えが
たになりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦
の目ごとに入りて、黒う丸に見えたる、いとをかし。
時雨・霰は、板屋。霜も、板屋。庭。
(杉本苑子訳)
降るもので私が好きなのは、雪と霰(あられ)である。霙(みぞれ)はいやな感じだけれど、白い雪が混じって降る情景は悪くない。
さて、その雪だが、檜(ひのき)の皮で葺(ふ)いたいわゆる檜皮葺の屋根に積もって、ところどころ消え残った姿に風情がある。瓦屋根の場合はこれもあまり多くは降らず、瓦の継ぎ目ごとに白く残って黒く丸く、瓦の背が露出しているぐらいがおもしろい。
雨では時雨に心ひかれるし、霰は板葺き屋根に音をたてて降るのが魅力的である。霜も、わびしげな板屋の軒を白く染めるのが美しい。
「寒牡丹」 大和石光寺にて
小説 『津 軽』
太宰治
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
(東奥年鑑より)
(以下省略)
太宰治は小説『津軽』の冒頭に「津軽の雪」として七つの雪を掲げ、その後に括弧して「東奥年鑑より」と記しています。
かつて「青春のはしか」とも呼ばれた太宰治。「生まれて、すみません」と恐縮しながら、「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」と語ります。そんな矛盾もまた、人々を惹きつけています。
小説『津軽』の刊行は1944年。戦局が厳しさを増す中で、太宰治はふるさと津軽を訪ねます。津軽各地での多くの人たちとの出会いの場面はどれをとっても切なく、そして美しく描かれています。
最終章、太宰治の子守をしてくれた「たけ」との再会は、太宰文学の中でも気高く澄み切った瞬間です。
そして、
「さらば読者よ、命あらばまた他日。絶望するな。では、失敬。」
敗戦の前年、絶望の中でみせる太宰治のユーモアあふれる言葉で「では、失敬。」と、小説を終えるところに彼の優しさが伺えます。
太宰治が小説『津軽』の冒頭に「津軽の雪」を書き記した胸の内が雪景色となって見えるようです。
「しぶき氷」 厳寒の琵琶湖にて
1月、あまりの寒さと強風で、波しぶきさえも凍った琵琶湖。
そこに出現する自然の芸術が『しぶき氷』です。
雪景色の故郷は、寒々として、いかにもわびしげですが、しかし、よくみると、豊かな色どりで、その底には、ほのぼのとした温もりを湛えています。厳しい自然と、その内に芽生える優しいこころが、実に美しく溶けあっています。