(69) 夢つなぐ島
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神、天(あめ)の浮橋に立ち、沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして、流れ漂う海と泥の混じる塩を許袁呂許袁呂(こおろこおろ)と掻き混ぜて引上げたまふときに、その矛の先から滴り落ちる塩が重なり積もって島になりき。これ淤能碁呂島(おのごろじま)なり。
『古事記』上巻より
「夜明け」 明石海峡から淡路島を望む (左は明石海峡大橋)
古事記の冒頭を飾る国生みの島・淡路島。
本州から四国の阿波への間に浮かび、歴史と自然の恵み豊かなこの島は、古来から人々を魅了し、多くの詩歌に歌われてきました。
特に、伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神様が沼矛で下界をかき回し、落ちた塩の雫から淤能碁呂島が生まれた描写からは、海藻を焼いて塩を作る「藻塩(もしお)」が、焦げつくように燃える恋心に喩えられています。
※藻塩を焼く‥海水を海藻にかけ何度も乾かしたものを煮詰める製塩法。
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
権中納言定家
(小倉百人一首)
(歌意)
「また来るよ」、そう言った貴方を毎日待ち続けて、じれている私の心は、まるで松帆の浦で夕なぎどきに焼かれている藻塩のように、貴方を恋焦がれています。
この歌は、小倉百人一首の選者、藤原定家、渾身の一首です。
夕なぎの播磨灘
淡路島北端には、国生み神話に登場する淤能碁呂島(おのごろじま)伝承地の一つとされる『絵島』が美しい姿を見せ、和歌を詠む人々を惹きつけてきました。
西行法師もこの地を訪れたときの情景を美しく詠んでいます。
千鳥なく 絵島の浦に すむ月を
波にうつして 見るこよいかな
西行法師
(山家集)
(歌意)
千鳥の鳴いている絵島の浦の澄んだ月を、波に映して眺めている。今夜の月はなんと美しいのだろう。
絵島 淡路島北端の岩屋にて
西行法師は、淡路島そのものの情景にも惹かれ、多くの歌を詠みました。
あはぢ潟 せとの汐干(しおひ)の 夕ぐれに
須磨よりかよふ 千鳥なくなり
西行法師
(山家集)
千鳥の鳴いている景色を思い浮かべていると、ふと百人一首の歌がよぎりました。
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守
源兼昌
(小倉百人一首)
明石海峡の夜明け
明石・須磨と淡路島の間に位置する明石海峡は、最狭部の幅が3.6㎞ほどで、対岸がすぐ近くに見えるのに、速い潮流やサメの出没などで、泳いで渡るのは自殺行為だと諭されてきた場所です。
ここに大橋を架け、本州から淡路島、そして鳴門大橋とあわせて四国まで陸続きで渡れる。そんな悲願の構想から100年以上の時を経て、明石海峡大橋は完成しました。
瀬戸大橋より強い潮流や深い水深、軟弱な地盤にはばまれ、しかも多くの船舶が行き交う明石海峡の航路には何もつくれない。
2本の主塔間は1990メートルと世界最長になり、吊橋をつくるなど夢のような話でした。
難題を一つひとつ解決していく中で、工事は進んでいきましたが、その最中に大きな試練にも見舞われました。主塔にケーブルを架け終えた平成7年(1995年)1月17日、現場のほぼ真下を震源とする阪神淡路大震災が発生したのです。『まさか・・・』 『いや大丈夫。土台は断層を避け、マグニチュード8.5の地震を想定して設計している』。点検の結果、地盤が動いたことで橋の長さが1.1メートル伸びることがわかりましたが、本体構造物には被害はほとんどありませんでした。
約10年の工事期間を経て、明石海峡大橋は平成10年(1998年)に開通。延べ210万人が従事し、死亡事故ゼロだったのは工事関係者の誇りだったと思います。
粟島(あわしま)に 漕ぎ渡らむと 思えども
明石の門波(となみ) いまだ騒げり
作者不詳
(万葉集 巻七 1207)
明石海峡大橋 (舞子浜から淡路島を望む)
神話は、気の遠くなるような時間をかけて語り継がれた物語の実体をつくっていきます。この先千年を経て、『古事記』は今と少し違う物語になっているかも知れません。
想い続ける夢、見果てぬ夢。 夢の向こうで夢を探している。
静寂の海 (播磨灘の夕暮れ)