(66) 夜空の向こう

 

 

 

       冬はまた 夏がましじゃと いひにけり

                            上島鬼貫

                                           (うえじまおにつら)

 

 「冬になったら、こんどは夏の方がよかった」と言うよ、人って勝手だもん。

 

 つい、「あはは」って、うなずきながら笑ってしまった俳句です。

 

 これは冬の句。

 でも冬と夏を置き換えても成り立つところに面白みがあるようで、2014年2月14日の朝日新聞『天声人語』では、次のようにこの句をもじって紹介されています。

 

 

       夏は又 冬がましじゃと 言ひにけり

 

 

 これにも、「あはは」って、笑ってしまいました。

 江戸中期の俳人 鬼貫も、天声人語も洒落ていますね。

 

 

 播磨滝野 闘竜灘の夏景色

 

 

 近江長浜 琵琶湖岸の冬景色

 

 

 夏暑く冬寒いのが日本の気候の特徴、この二つの句には、たいていの人が思い当たるのではないでしょうか。

 

 

 

 日本人にとって古来から快適な気温は春と秋。特に秋は農作物の収穫があるから、いっそう好ましい季節でもありました。

 

 

 近江湖東 西明寺の秋景色

 

 

 「いつも月夜に常九月」 …… いつも月夜で明るくて、しかも九月(旧暦九月はいまの十月)のような気候だったらいいなぁ、と昔の人は思ったようです。電気のなかった昔は、月の光が本当にありがたかったのでしょう。

 

 これと似た言葉に、「いつも月夜に米の飯」というのもあります。

貧しい時代の米飯が非常にありがたいものだということを言っています。

 

 冷暖房をした明るい照明のもとで米の飯を食べている現代は、昔の人の理想を実現しているとも言えます。

 でも、どこか理想という言葉に違和感を覚える今日この頃です。

 

 令和3年の秋は強い風の吹くことが多く、夜空の月がきれいに見えます。満月の夜、駅からの帰路、住宅街を歩きながら、月光が創り出す影を探してみましたが、どこにもありません。街灯の作る影の方が濃いためでしょうか。

 

 人びとは月夜を忘れてしまったようです。

 

 

 宝塚市内の夜景

 

 

 街の明かりが優しくささやいてくれる中で、ふと思い出した短歌があります。

 

 

        問十二、夜空の青を 微分せよ

            街の明りは 無視してもよい

                            川北天華

                                            (2011年発表)

 

 

 一時期ツイッターで広まり、いろんな人がそれぞれに解釈している女学生の歌です。

 

 何が正解かは、これからの時代を築いていくひとり一人に問われているのかも知れません。

 

 

 ブログのテーマを『和色を求めて』にしていますので、「夜空の青を微分せよ』にだけ、私なりの直接的な解釈をいれておきます。

 

 夕方の空はしだいに薄暗くなり、はじめは青色だった空も、群青、藍色、濃紺とその色合いを暗闇に溶け込ませてしまいます。

 わずかな時間に大きく変わっていく空の様子が目に浮かぶようです。 

 ※微分を、一定時間当りの変化量(青色の減少量)として捉えました。

 

 

 氷ノ山の星空

 

 

 

   ♫ 雲のない星空が マドのむこうにつづいている

     あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…

     夜空のむこうには もう明日が待っている ♫

                       (SMAP「夜空ノムコウ」より)

   

  自然とよりそう中に、明日へ向かう知恵が宿っているようです。