(63) 夢を綴る

 

 

 

 大和は初瀬山(はせやま)の中腹に広がる長谷寺。

 

 万葉時代には「隠国の泊瀬(こもりくのはつせ)」とよばれ、穏やかな地、聖なる地とされた美しい地域です。

 

          花の寺 末寺一念 三千寺

                           高浜虚子

 

※三千寺とは、長谷寺には約三千の末寺があることを示しています。

 

 

 長谷寺は別名「花の寺」とも呼ばれ、桜、牡丹、紫陽花、そして紅葉と、四季を通じて、境内は美しく彩られます。

 

 

 大和初瀬 長谷寺(秋 紅葉)

 

 

 大和初瀬 長谷寺(春 桜)

 

 

 観音さまをお参りし、花の色姿を楽しんだ人々は、やがて長谷寺の参道に帰ってきます。

 

 両側に並んだ休み所や旅館などでは、湯葉、吉野葛、三輪そうめん…。店先で草餅を蒸している店から美味しそうな香りが漂ってきます。

 

 

 長谷寺の参道

 

 

 

 「初瀬詣で」は、平安時代から人々の憧れであり、願いでありつづけてきました。

 

 この長谷寺界隈の風情をこよなく愛し、幾度となく参詣していた平安歌人がいます。その人の名は、紀貫之(きのつらゆき)

 

 

       人はいさ 心も知らず ふるさとは

           花ぞ昔の 香(か)ににほいける

                            紀貫之

                                (古今和歌集 巻一)

                                  (百人一首 35番)

 

 

 紀貫之には、初瀬の長谷寺へお参りするたびに泊まる家がありました。昔なじみの女性の家です。

 しばらくぶりに訪れたところ、女は「最近、お見限りですね。お宿はこの通り、昔のままですのに、あなたはちっとも寄ってくださらない。私のことなんかもう忘れてしまっていたのでしょう」と、おかんむりの様子。そこでその辺りに咲いていた梅の花を折ってこの歌を詠みました。 

 「さあ、あなただって心のうちはどうだか分かりません。梅の花だけは昔のまま変わらず、懐かしい香りを漂わせてくれています」

 

 久しく足が遠のいていた女のことを思い出して寄ってみたら、すねて嫌みを言われたので、和歌でお返しした紀貫之。

 紀貫之の家集にはさらに、女による返歌が掲載されていて、女性との機知に富んだ歌のやり取りが楽しめます。

 

 

 

 この紀貫之が『六歌仙』の一人として挙げた歌人に、小野小町がいます。

 

 

 

       花の色は うつりにけりな いたづらに

           わが身世にふる ながめせしまに

                            小野小町

                                 (古今和歌集 巻二)

                                   (百人一首 9番)

 

(歌意)

 花の色つやはすっかりあせてしまいました。私の容姿も同じこと。むなしく身をこの世において、春の長雨をながめ、むなしく恋の思いにふけっている間に。

                              

 

 

 藤原定家もこの歌を、妖艶を歌ったら並ぶもののない小野小町の代表作、とみて高く評価していたようです。

 

 

 しかし、名歌は残っているのに、小野小町のことは霧が覆い隠すような謎のベールに包まれています。

 

 後世、人々は小野小町が残した恋歌から、繊細であでやかな女性を想い描がき、小町伝説として語り継いでいます。

 

 

 そのうちの一つが京都山科に伝わる『百夜通い(ももよがよい)の伝説』です。

 

 黒髪がつややかで美しく、文才にたけた小野小町は、世の多くの男性の心をとらえ、あちこちから恋文を受け取っていました。

 それでも小町は、男たちと契りを結ぶことはありませんでした。そのつれない態度に、男たちのみならず女性からもいじめを受けたといいます。

 

 そんな宮中の生活に嫌気がさし、36歳の頃小町は宮中を辞し、京都山科に居を移しました。それでもなお、小町に想いを寄せる者たちがおりました。深草少将(ふかくさのしょうしょう)もその一人で、小町に度々文を送り、恋の成就を願っていました。小町の返事は、『百夜続けて自分の元に通ってください』、という内容でした。

 

 ここに深草少将の百夜通いがはじまります。

 少将は京都深草から、小町の住む山科へ雨の日も雪の日も毎夜、一里半の道を通い続けます。

 

 はじめの頃は、少し煩わしく思っていた小町ですが、やがて深草少将が通ってくるたびに届けてくれる榧(かや)の実を一粒ずつ綴り、想いを遂げられる日を心待ちするようになっていました。

 

 少将は、苦行のような通い道をひたすら続け九十九夜。

あと一夜というところで、大雪に見舞われます。少将は寒さと疲労で力尽き、凍死してしまいます。

 

 百日目の夜、小町はどんな思いで深草少将を待っていたのでしょう。少将が力尽きて倒れたと知ったときの嘆きは、、、。

 小町は、自分もまた死んだならば隣に葬ってほしいと言い残したといわれています。

 

 

 シャクナゲの花 (秋田県の伝説では深草少将が届けたのはシャクナゲ)

 

 

 

           色あせてゆくすべての花が

           そっと運命を受け入れる

           ただ、あなたへの想いだけは枯れない

           想いは今日も夢を綴ってゆく