(39) 色づく街道
紅葉の街道(近江)
ラジオから流れる歌に、ふと耳を傾けることがあります。若かりし頃に聴き入った歌や、詩の想いが心に響いたとき、そして懐かしい景色が瞬時に浮かぶ地名に触れたときなどです。最近懐かしい場所に運んでくれた歌がありました。岩佐美咲(元AKB48メンバー)が歌う「鯖街道(さばかいどう)」です。歌は恋を鯖に見立てた失恋の歌ですが、作詞家の秋元康らしく、鯖街道の瞬景を映し出してくれました。
鯖 街 道
作詞 秋元 康
作曲 福田 貴訓
歌 岩佐 美咲
小浜(おばま)の港に 鯖が揚がる頃
溢れる涙は 枯れるでしょうか
終わった恋を塩漬けにして
根来坂(ねごりざか) 越える
京は遠くても十八里
未練背負い ひとり旅
あなたが愛しい
ああ 鯖街道
心がかじかむ 小入谷(おにゅうだに)辺り
別れの痛みを 思い出させる
人の気持ちは腐りやすくて
山道を急ぐ
京は遠くても十八里
惚れたままで忘れたい
女の恋路は
ああ 鯖街道
鞍馬(くらま)が見えたら目指す地も近い
気持ちの整理も ようやくついた
運んだ愛もいい塩梅に
しあわせな日々よ
京は遠くても十八里
少し強くなれたかな
あなたを想って
ああ 鯖街道
鯖街道 根来坂峠(近江高島)
朝まだ暗い若狭(わかさ)の港町 小浜(おばま)、若狭湾で水揚げされ、浜で一塩(ひとしお)された鯖は、人の手で京の都に運ばれます。小浜から熊川(くまがわ)まで運ぶのは、おもに女性の仕事。
お昼ごろ熊川に着いた荷は、「街道稼ぎ(かいどかせぎ)」などと呼ばれた運搬人に託されます。
鯖の旨味は一塩から約24時間後に増すと云われています。新鮮で美味しい鯖を商うためには、翌朝までに京に着かなければならない。男たちは、一人40から60㎏もの荷を担って熊川を出発。途中、滋賀県朽木(くつき)で荷を継ぐ場合もあったようですが、京まで夜通し歩き続けました。
冬期ともなると、雪深い寒冷の峠を越えることから運び手が少なく、峠越えのさなかに命を落とす人もいたと云われています。しかし、冬の峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身が引きしめられ、特に美味だということで人気がありました。
近江朽木 鯖・美・庵まつりより
麻のパッチに”コンナシ”と呼ばれる短い上着を着て、自らの足を頼りに生きた男たちの姿は、「京は遠(とお)ても十八里、負い縄一本あれば良い」との言葉とともに大正時代まで生きていました。
江戸中期の俳人 与謝蕪村は、街道稼ぎが行き交う様子を句に留めています。
夏山や 通ひなれたる 若狭人
(与謝蕪村)
日本海の幸を京に運んだ「鯖街道」には幾筋かの道があります。
小浜から上中町熊川(かみなかちょうくまがわ)を経て滋賀県今津町保坂(ほうざか)を通り、朽木へ。そこから南下。京都大原に入り、八瀬を通過して左京区出町柳(でまちやなぎ)に至る「若狭街道」。
また、上掲の歌に歌われている道は、小浜から根来峠を越えて、朽木の針畑(はりはた)から、京の鞍馬へ至る街道で、険しいながら若狭から京への最短路として利用されてきた「鞍馬街道」。
なかでも、比良連山を走る若狭街道は、鯖街道にふさわしい歴史的背景と物語をもって、今も日本海と京都を結んでいます。
万葉集や新古今和歌集にその姿を詠われ、歌枕の地として名高い比良連山は、南北に連なる険しい山地。千メートル級の山容と深い雪が織りなす冬景色は、”比良の暮雪”として「近江八景」にも数えられるほどです。
花さそふ 比良の山風 ふきにけり
漕ぎゆく舟の 跡見ゆるまで
(後鳥羽院宮内卿 新古今和歌集)
(現代語訳)
比良山から吹き下りる春風が桜の花を琵琶湖
一面に散らします。それは水面の花びらをかき
分けて進む舟の航路が分かるほどです
早春の比良連山
今も京都修学院あたりや、花折(はなおれ)峠、朽木市場(いちば)など旧道沿いの家並みや風景に、千数百年にわたって旅人が往来した名残とたたずまいが偲ばれます。
これらの街道とは別に、琵琶湖を利用した鯖街道がありました。
小浜と湖畔の港町 今津を結んだ街道。もう一つは、若狭美浜(みはま)から近江海津(かいづ)への峠越えの道。これらの道は、それぞれの港から琵琶湖を南下して大津から京へとつないだ「海路の鯖街道」です。
琵琶湖北西岸の町、今津。この街は、かつて京から琵琶湖を経て小浜へと至る街道の中継地として栄えた港町。小浜に集められた海産物は保坂を越え、今津港からは琵琶湖の舟運を利用して、大津、そして京へと運ばれました。
特に豊臣秀吉が、天正11年(1583年)「若洲(若狭)より往来の商荷物等のこと、先々の如く当浦(今津)へ相つけるべし」と、日本海からの荷物の集積を今津港に限定しました。 じつはこの令には、秀吉が大坂城築城の折、人馬が集まらず難渋した際に、今津の民が馳せ参じてくれたことへの返礼の意味があります。加えて秀吉には、京、大坂への交通の要衝として今津を整備しようとの着眼もありました。
前年の本能寺の変を経て、時代は近世への幕開けを迎えていました。今津はまさに近世を象徴する港町となったのです。
近江今津
現在、かつての港町の面影を残す浜通りの旅籠や古い街並み。竹生島を背に、活気に満ちた丸子船が湖上を行き交う光景を想像しながら松並木を歩き、知内浜を経て海津へ。
知内浜から竹生島、伊吹山を望む(高島市マキノ町)
海津も今津同様、西近江路の宿駅、港町として賑わった町です。さまざまな荷と文化が交差した町、海津。湖岸の石積みや造り酒屋などが、静かに往時の趣を伝えています。
近江海津の石積み