先日、訪れたアドミュージアムで購入した本を読了しました↓
”広告”という言葉は明治になってからの登場で
江戸時代は主に”引札”と呼ばれていたんだとか。
その媒体として際立っていたのが
大衆娯楽の代表である「歌舞伎」「錦絵」「草双紙」とのこと。
現在のチラシ広告へと繋がったこの引札を初めて使ったのが
あの三井越後屋・・つまり現在の三越。
今では当たり前ですが
当時としては画期的な「現金安売り掛け値なし」というマーケティング手法は
他同業社から かなりの反感を買ってしまい
場所移動まで余儀なくされてしまったという苦労も。
パイオニアって そういうものですよね
アドミュージアムにも 越後屋の貸し傘のレプリカがあったけど
これは 不意の雨の際に客に貸し出すことによって宣伝効果を見込んだもので
通し番号が振ってあるので <番傘>と呼ばれるようになったんだそう。
へぇ~
しかし、この手法が消費者に大うけで 越後屋をモデルにあの井原西鶴が
「日本永代蔵」という経済小説を書いて 更に盛り上がるという好循環へ。
今なら 池井戸潤さんみたいな経済小説という感じかな?
三井高俊のアイディアから 様々な媒体へと発展していった広告手法。
歌舞伎とのタイアップのような企業協賛は
今でも広告業界では当たり前にあるし
店の宣伝効果を期待した判じ絵は ピクトグラムに通じるとも。
・・・という感じで現代の元になっているんですね。
「江戸の水」という化粧水は式亭三馬の店で売られ大ヒット。
彼が この化粧水で「白粉がよくのる」という言葉を生み出していて
つまり、今日私達が「化粧のノリがいい」と言っているのは 彼のコピーだそう。
山東京伝や式亭三馬といった戯作者たちは
作家以外の本業があって 本文中に自店の商品を入れてみたり
・・・というのは ある意味、特権とも言えるかも。
他の店でも おまけとしてもらえた双六には
抜かりなく商品名を盛り込んであり
宣伝効果としては 抜群の効果があったようです。
この双六、ちょっと笑ってしまうほどのユーモアがあって
そりゃ、江戸の庶民に大人気になるわ~と思いました。
普段意識しないような広告の歴史を知ることが出来るアドミュージアム。
始めて訪れた時は あまり人がいなくて
学芸員の方と お話しが出来るくらいだったのですが
段々、認知度が高まってきているようで
今回、かなり大勢の人がいました。
もっと近くにあれば 頻繁に行けるのに~と思うけれど
今回、この本を購入したので時々眺めてみようと思います。