こちらに住んでもうすぐ丸4年。

明治以降の姿を知ることが出来そうなこんな本を借りてみました↓

 

上巻と下巻に分かれており

まずは 上巻から。

 

幕末の開港前には 人口500人足らずの漁村からは今の姿は

想像も出来ませんが 今や人口 376万人。

 

 

昭和2年横浜市に区制が施行され5区から始まったのが

分区して 今は18区になったとのことで

上巻では 臨海部<鶴見区、神奈川区、西区、中区、磯子区、金沢区、港北区>の

7区の解説となっています。

 

絵葉書だったり 白黒だったり カラー写真の出始めと思わせる街の風景など

より一層 郷愁を感じさせる頁から始まっています。

 

今では横浜を象徴する<みなとみらい>地区の開発計画は

1960年代から始まっていたそうで 着工は1983年とのこと。

また、昭和33年のJR桜木町駅にある「開港百年祭」の看板をみると

その時でさえ 開港時とは 大きく変化して

”開港”が既に歴史になっていたんですね。

だけど、昭和45年には まだ駅前に路面電車が通っていたりして

この写真でさえ 歴史上の出来事のように思えたり

・・と、感慨深くもありますね。

 

開港時には 幕府は江戸を開港することは反対していたのに

横浜での貿易が盛んになってくると

今度は”東京港開港問題”で横浜との対立があったとか。

時代背景とかもあったでしょうが 

経済的に潤っていく姿をみたら

東京としては 開港したくなりますよね。

 

 

後半は 各区の成り立ちの解説。

 

印象的だったことを挙げると・・・

 

<鶴見区>

開港後に西洋野菜の導入。

一方で 浅野総一郎による京浜工業地帯の発展。

生麦事件で有名な生麦って 今やキリンビール工場があるので

てっきり そこで生麦が取れたことによるのかと思いきや

関東大震災後に山手からの移転だったそうで

江戸時代は 貝の生産地で 将軍家に献上する御菜八ケ浦だったとか。

 

<港北区>

綱島という地区は その昔温泉地で有名だったことに加え

何と!昭和6年には桃の生産高が全国1位だったとか!

”温泉と桃”・・横浜の別の顔を知れた気もします。

 

下巻では他11区の姿をみることが出来そうですが

もう少し、順番を待つことになりそうです。