図書館棚を巡っていた時に この本を見つけて

そう言えば、図書館予約カゴに入れていたな~と借りてきました。

 

「自分が殺害してしまった方には妊娠中だった奥様がいた。

つまり、その方は生まれてくるお子さんをみることなく亡くなって

奥様は お子さんを一人で育てていくことになったという訳で

これからの母子の人生を考えると 不運だった自分に重なり

それを考えると居たたまれない気持ちになる」と気づいた永山則夫。

 

他、3人の方々の遺族にも 同様の苦しみを与えてしまった後悔から

自分の著書の印税を遺族に渡して欲しい・・と望んだのは よく知られた話。

しかし、それを拒んだ遺族もいらっしゃって それはとてもよく理解できます。

 

彼の生い立ちを考慮したとしても ご遺族の気持ちになってみると・・・。

彼に対する死刑判断の是非は 

正直 私の中で相反する気持ちの中で揺れ動いたりもします。

 

しかし、司法が選んだ最終結論は ”死刑”。

 

彼への執行が為される直前に 

「日本、そしてペルーの貧しい子供達へ 自分の著書の印税を使ってほしい」

という遺言を遺したというのは

別の本で既に知っていましたが

日本は分かるけど、何故ペルー?

世界中には他にも貧しく悲惨な子供たちはいるのに 何故ペルーなの?

・・という疑問が私の中にありましたが

その答えが本書の中で判明しました。

 

当時、ペルーでは児童労働が問題になっていて

「まさにこれは自分ではないか」と

彼は獄中でその新聞記事を見ていたんですね。

 

「貧困、児童労働」という過酷な環境

そして、「助け合い、協働、自立」の欠如は

ペルーの子供達と永山自身と 重なることだった訳ですね。

 

彼の死後、実際に活動したのは不登校の子供達を支える団体でした。

本書、後半は彼の遺志を受け継いでいった

日本とペルーの子供達を含めた活動の記録でした。

 

ペルーの貧困に喘ぐ子供、そして永山自身は

「(経済的理由で)行けなかった」のであって

日本の不登校の子供達は「行かない」という

まるで相反する子供達な訳で

(不登校の子供達は それぞれ事情がある訳ですが)

全く異なる状況の子供達が お互いを理解し合えるのか?とも考えてしまいます。

 

私がペルーの子供達だったら

「(不登校の)アナタたちは恵まれすぎている」とか思ってしまいそうですが

彼らは 日本のそういう状況の子供達のことを

そこは「心の痛み」という共通点でお互いに理解出来たようです。

 

 

あ~、なるほど・・。

自分が経験していないことだと 想像や理解しにくいものだな~と

自分の浅はかさ、狭量さを改めて感じた本でした。