大阪フィルハーモニー交響楽団
第556回定期演奏会
【日時】
2022年3月4日(金) 開演 19:00
【会場】
フェスティバルホール (大阪)
【演奏】
指揮:小泉和裕
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
(コンサートマスター:崔文洙)
【プログラム】
ベートーヴェン:劇付随音楽 「エグモント」 序曲
オネゲル:交響曲 第3番 「典礼風」
シューマン:交響曲 第4番 ニ短調 op.120
大フィルの定期演奏会を聴きに行った。
指揮は、小泉和裕が担当。
ベートーヴェンにオネゲルにシューマンという、少し変わった取り合わせのプログラムである。
最初の曲は、ベートーヴェンの「エグモント」序曲。
この曲で私の好きな録音は
●フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル 1933年セッション盤(CD/YouTube)
●トスカニーニ指揮 NBC響 1939年11月18日放送ライヴ盤(CD)
●フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル 1947年5月27日ベルリンライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1969年1月3-6日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1985年12月2,4日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●アバド指揮 ウィーン・フィル 1987年2月ウィーンライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
あたりである。
いずれも重厚さと推進力とを兼ね備えた名盤で、特に1930年代のフルトヴェングラーとトスカニーニの演奏は凄まじいの一言。
今回の小泉和裕&大フィルの演奏は、重厚さはないが推進力という点ではこれらの名盤にも迫っていた。
主部の第1主題をクレッシェンドしていき、フォルテで確保する箇所など、なかなかの迫力だった。
ただ、そのぶん音の豊潤さが犠牲になってしまっていたのは残念。
序奏主題や主部第2主題に強いアクセントをつけ、これらが同じ動機に由来していることを明示するのは悪くないアイディアだが、強奏の中にも音の美しさを保ってほしかった。
次の曲は、オネゲルの交響曲第3番「典礼風」。
この曲で私の好きな録音は
●湯浅卓雄指揮 ニュージーランド響 2002年1月23-25日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
●ヴェンツァーゴ指揮 ベルン響 2012年5月31日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3)
あたりである。
ともに、氾濫する不協和音を一音一音きれいに整理して、それらのハーモニーを美しく聴かせる名盤。
今回の小泉和裕&大フィルは、不協和音は不協和音として特に整理せず、大きな音の混和物をそのまま呈示するような演奏。
こうなると聴き手は、耳に快いとはいえない膨大な音の洪水を、ひたすら身に浴びるしかない。
こういうタイプの「現代音楽」演奏は苦手だが、考えてみると、第二次世界大戦の終結直後に書かれ、戦争の悲惨さや愚かさが込められたこの曲には、実はこういった演奏が本来ふさわしいのかもしれない。
現在の時局に思いを馳せ、平和を願いながら聴いた。
最後の曲は、シューマンの交響曲第4番。
この曲の改訂稿で私の好きな録音は
●フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル 1953年5月14日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/4)
●フルトヴェングラー指揮 ルツェルン祝祭管 1953年8月26日ルツェルンライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/4)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1957年4月25,26日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/4)
●カラヤン指揮 ウィーン響 1965年セッション盤(DVD/YouTube)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1971年1月4,8日、2月15日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/4)
●カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1987年5月24日ウィーンライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube1/2/3/4)
●アーノンクール指揮 ベルリン・フィル 1995年1月ベルリンライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube3/4)
あたりである。
シューマンの、あの微妙に屈折した深淵を最も的確に表現し得た指揮者は、アーノンクールにほかならないと私は考えている。
ただ、この交響曲第4番は、フルトヴェングラーやカラヤンのような“苦悩から歓喜へ”のベートーヴェン風解釈も合う(より後年の作である第2番や第3番でこれをやられると違和感を覚えてしまうのだが)。
今回の小泉和裕&大フィルは、やはり先ほどのベートーヴェンと同じく音の“痩せ”が気になったけれど、それでも推進力で聴かせる演奏ではあった。
第1楽章の序奏から主部にかけて、また第1楽章や終楽章のコーダ、こういった箇所でのクレッシェンドやアッチェレランド(加速)に生気があり、やはりこういった点が彼の持ち味だと感じた。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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