上里はな子 松本和将 京都公演 R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「ヴァイオリンソナタ」

 

【日時】

2021年9月29日(水) 開演 19:30 (開場 19:00)

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

ヴァイオリン:上里はな子

ピアノ:松本和将

 

【プログラム】

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96

R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18

 

 

 

 

 

カフェ・モンタージュでの上里はな子&松本和将のコンサートを聴きに行った。

ベートーヴェンとR.シュトラウスという、彼らの得意とするドイツ物プログラムである。

なお、用事のため私は後半のR.シュトラウスしか聴けず、前半のベートーヴェンは後から配信で聴いた。

最近カフェ・モンタージュが配信サービスを付けてくれているのは、実にありがたい。

 

 

 

 

 

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番で私の好きな録音は

 

●I.ファウスト(Vn) アレクサンドル・メルニコフ(Pf) 2008年9月セッション盤(NMLApple MusicCDYouTube1234

●イブラギモヴァ(Vn) ティベルギアン(Pf) 2010年2月23日ロンドンライヴ盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

じっくりとした前者、サクサクした後者という違いはあれど、ともにきわめて繊細な、細部までこだわり抜いた演奏。

 

 

しかし、今回の上里はな子&松本和将の演奏を聴くと、これが実に“ベートーヴェン”なのである。

彼ら二人の、派手すぎない重みのある音、丹精込めたことを感じさせないサラリとした自然なインテンポ。

これに比べると、好きだった上の2盤もあまりに神経質というか、凝りすぎているというか、ちょっとシューベルトのロマン派に寄りすぎているようにも感じてしまう。

私は、音楽評論家の吉田秀和のとある一節を思い出した。

 

“バックハウスには、『テンペスト・ソナタ』の冒頭楽章にみられるソ連の巨人リヒテルの凄味は求められない。けれども、このソナタでさえ、中間楽章から終楽章と全曲をきき通し、きき終えたあとで、「ベートーヴェンをきいた」という、感銘が与えられるのは、むしろバックハウスのほうである。逆にいえば、あれほど圧倒的なリヒテルの演奏でも、残ったものの中には、トリヴィアルなものがはるかにたくさんあるのだ。”

 

上記のファウストやイブラギモヴァらのこだわりがトリヴィアルだとは言わないけれど、9曲中8曲の交響曲を書き、ピアノ三重奏曲は最後の「大公」まで書き上げた、41歳の壮年期のベートーヴェンの風格を感じさせるのは、上里はな子&松本和将のほうである。

彼ら自身がちょうど当時のベートーヴェンと同じくらいの年齢なのもあるかもしれないが、それにしても、「クロイツェル」ソナタのような劇的な曲ならまだしも、この可愛らしいソナタ第10番でベートーヴェンを感じさせるのは、やはり本物だろう。

そういえば、彼らの弾いた「大公」トリオも素晴らしいものだった(その記事はこちら)。

カザルストリオよりも、百万ドルトリオよりも、オイストラフトリオよりももっとベートーヴェンらしかった彼らの「大公」トリオ、いつかもう一度聴きたいものである。

 

 

 

 

 

R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタで私の好きな録音は

 

●五嶋みどり(Vn) R.マクドナルド(Pf) 1990年10月21日ニューヨークライヴ盤(Apple MusicCD

●J.フィッシャー(Vn) M.チェルニャフスカヤ(Pf) 2003年1月3日ミュンヘン音大制作盤(CD

●イブラギモヴァ(Vn) ティベルギアン(Pf) 2010年9月13日?ロンドンライヴ(その記事はこちら

 

あたりである。

そして、これらにも増して、もう20年も前、2002年に岡山で聴いた五嶋みどり&R.マクドナルドの、あの優しい風のような演奏が今でも忘れられない。

あのときの第1楽章、第3主題で始まるコーダが朗々と奏された後、第1主題へと再びなだれ込んでいく箇所の、あのあまりにも伸びやかなヴァイオリンの音色が、まるで昨日のことのように思い出される。

 

 

今回の上里はな子&松本和将の演奏は、そんな甘い思い出とは無縁の、ずっしりとしたいぶし銀の味わいだった。

彼らが弾くと、この曲はまるで55歳のブラームスの手になるヴァイオリン・ソナタ第4番とでも言いたいような、円熟した秋の音楽になる。

秋の音楽といっても、いかにもな身振りで寂しがるのではなく、決然たる重厚な様式美の中に、ほのかなうら寂しさを湛えるにとどめるあたりが、何ともブラームスらしい。

第1楽章展開部や終楽章コーダでの、決して激しない落ち着いたクライマックスの作り方が、印象的だった。

とはいえ、この曲は実際には55歳のブラームスによる秋の音楽ではなく、24歳のR.シュトラウスによる春の音楽なので、どちらかというとやはり上記の3盤の甘く繊細な演奏のほうが合うとは思うのだけれど、それでもR.シュトラウスの音楽のルーツを感じさせてくれる名演である。

 

 

 

 

 

なお、この公演は9月30日の23時59分までは配信されているはずなので、興味がおありの方はぜひ。 → 購入ページはこちら

 

※配信は10月1日の23時59分までに延長されたとのこと。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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