大阪フィルハーモニー交響楽団
第550回定期演奏会
【日時】
2021年7月16日(金) 開演 19:00
【会場】
フェスティバルホール (大阪)
【演奏】
指揮:カーチュン・ウォン
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
(コンサートマスター:崔文洙)
【プログラム】
リスト:交響詩「レ・プレリュード」
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
大フィルの定期演奏会を聴きに行った。
指揮は、コロナ禍のため来日できないミシェル・タバシュニクの代役として、シンガポールの指揮者カーチュン・ウォンが担当。
気鋭の指揮者として活躍著しい彼だが、私が聴くのは今回が初めて。
最初の曲は、リストの交響詩「前奏曲」。
この曲で私の好きな録音は
●メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管 1929年6月11-15日セッション盤(CD)
●フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル 1954年3月3日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1967年4月14-17日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1983年12月28-31日、1984年1月24,30日、2月24日セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●西本智実指揮 ブダペスト・フィル 2008年9月7-9日セッション盤(CD)
あたりである。
これらのドイツ風の重厚な名盤たちに比べると、今回のカーチュン・ウォン&大フィルの演奏は機動的ではあるのだが何となく曲を持て余しているような印象を受けた。
「前奏曲」はド派手な曲のようでいて、実はなんだかんだ言っても19世紀半ばの曲であり、20世紀の大管弦楽曲に比べれば編成的にも曲想的にもよほど古き佳き時代の音楽であって、ホルストやレスピーギではなくベートーヴェンやヴァーグナーのように扱うのが最適なのではないか、ということを今回の演奏から改めて感じた。
次の曲は、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。
この曲で私の好きな録音は
●ライナー指揮 シカゴ響 1958年12月28,29日セッション盤(Apple Music/CD)
●ブーレーズ指揮 BBC響 1967年セッション盤(Apple Music/CD)
あたりである。
前者は「20世紀のベートーヴェン」としてのバルトーク、後者は「ドビュッシーの後継者」としてのバルトークが浮かび上がる演奏。
性質は対照的だが、緊張感みなぎる、特に冒頭のフーガ楽章で異様な凄みを感じさせるという点において全く共通している。
今回のカーチュン・ウォン&大フィルの演奏は、さすがにこのような凄みはなく、また洗練からもやや遠かったけれど(各パートが細かく分かれる曲であるため仕方ないか)、何といっても実演であり、この曲の風変わりな編成や楽器配置が視覚的にもよく分かって楽しかった。
休憩をはさんで、最後の曲はムソルグスキー/ラヴェルの「展覧会の絵」。
この曲で私の好きな録音は
●チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィル 1986年10月14日東京ライヴ(音源)
●カンブルラン指揮 読響 2015年9月11日東京ライヴ盤(CD)
あたりである。
19世紀に書かれた地味で重たいピアノ曲が、20世紀に派手でカラフルな大管弦楽曲に盛り付けられたという、この曲のキメラ的なところが私は少し苦手。
そのため、上の2種の好きな録音もスタンダードというよりは変化球な解釈で(前者はやたらのっそり、後者はやたらサクサクしている)、とにかく音の響きに神経をとがらせた演奏となっている。
今回のカーチュン・ウォン&大フィルは、上の2盤とは全く異なる、大管弦楽のゴージャスさを躊躇いなく前面に出した演奏。
この編曲の本来のイメージに近い演奏で、私の好みには合わないかと思いきや、意外と爽快に楽しむことができた。
むしろ、この曲の演奏を聴いて、初めてカーチュン・ウォンという指揮者が私の中で腑に落ちた。
彼のオーケストラの鳴らしっぷりの良さは(特に金管)、ジェイムズ・レヴァインを思わせる。
20世紀の大オーケストラ曲を豪快かつスマートにドライブすることにかけて、右に出る者のなかった指揮者レヴァイン(その記事はこちら)。
カーチュン・ウォンは、その後継者ともいうべき人なのではないか。
彼の振るホルスト「惑星」やプッチーニ「トゥーランドット」をいつか聴いてみたいものである。
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