(ジェイムズ・レヴァイン追悼) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

名指揮者のジェイムズ・レヴァインが先日(2021年3月9日)死去したらしい。

享年77歳。

ご冥福をお祈りしたい。

 

 

彼の生演奏は、私は一度も聴く機会がなかった。

以下は録音で聴く範囲内での話だが、レヴァインのきわめて広いレパートリーの中でも、特に20世紀に書かれた大管弦楽のための作品、それもドイツ物に多いシリアスで内省的な曲でなく、派手で外向的な曲において、彼は真骨頂を発揮する人であったように思う。

 

 

彼の録音から一つ選べと言われたら、20世紀の有名な管弦楽曲、ホルストの「惑星」を私は採るだろう(45~46歳時の録音)。

最初の「火星」からして、宇宙空間で火星が眼前にその威容を現すかのような、おったまげるほどのスケール感。

それも、泥臭い人間ドラマの全くない、非情なまでにスマートで無機質な、それこそ宇宙空間を思わせる音楽である。

これを知ってしまうと、他の演奏がどれもかわいらしく聴こえる。

もしも生で聴いたなら、いったいどうなってしまうことだろうか。

有名な「木星」も、人間臭さとは無縁の秩序立った美しさが聴ける。

 

 

プッチーニのオペラ「トゥーランドット」(43歳時の録音)。

これまた冒頭から凄まじい迫力である。

20世紀の作品で用いられる大編成オーケストラの音をゴージャスにぶっ放すことにかけて、レヴァイン以上の人がいただろうか。

ゴージャス、というとカラヤンが思い浮かぶかもしれないが、カラヤンの「惑星」や「トゥーランドット」は、レヴァインに比べると重たくて垢抜けない(ドイツ物ではカラヤンのほうがしっくりくるが)。

逆に、現代の若い指揮者たちはスマートで洗練されているけれど、レヴァインに比べるとすっきりしすぎてパワーが足りない。

 

 

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者を40年以上の長きにわたって務めたレヴァインは、同歌劇場で数多くのオペラ録音を残したが、その中では上記の「トゥーランドット」のほか、ビゼーの「カルメン」も忘れがたい(43歳時の録音)。

これは19世紀の作品であり、レヴァインの独壇場とまでは行かないが(熱いC.クライバー盤や引き締まったネゼ=セガン盤も捨てがたい)、それでもレヴァイン盤の“洗練されたゴージャスさ”はやはり大きな魅力である。

 

 

伴奏指揮者としても優秀だった彼の、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」を最後に挙げたい(49歳時の録音)。

ヴァイオリン独奏のアンネ=ゾフィー・ムターも濃厚で良いが、何と言っても華麗なオーケストラ・パートが印象的。

冒頭の雄叫びから、フリスカ(後半の急速部分)のジャン、ジャン、ジャンと力強く鳴らされるカデンツに至るまで、この有名曲の派手な演奏効果をこれほど躊躇いなく全力で体現した演奏も他にあるまい。

 

 

なお、彼には大きなスキャンダルがあったが、その真相については私の知るところではないし、それについて彼はもうすでに方々で叩かれただろうから、ここでその詳細に触れるのは避けることとしたい。

 

 


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