ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ゲルギエフ 藤田真央 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番他 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団公演

※ライブストリーミング配信

 

【日時】

2020年12月4日(金) 開演 20:00

※配信は日本時間で12月13日(日)午前3時~20日(日)午前4時

 

【会場】

ガスタイク (ミュンヘン)

 

【演奏】

指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ

ピアノ:藤田真央 *

管弦楽:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(コンサートマスター:Lorenz Nasturica-Herschcowici)

 

【プログラム】

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58 *

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 op.68

 

 

 

 

 

下記リブログ元の記事に書いていた藤田真央のミュンヘン公演がネット配信されたため、視聴した(なお観客の拍手がないため、コンサート本番ではなくリハーサルだと思われる)。

指揮は、おなじみヴァレリー・ゲルギエフ。

藤田真央への愛の大きさにかけては、私たちファンにも劣らないマエストロである。

 

 

 

 

 

前半の曲は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。

この曲で私の好きな録音は

 

●W.ケンプ(Pf) ケンペン指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管 1941年4月セッション盤(NMLApple MusicCD

●アンスネス(Pf、指揮) マーラー・チェンバー・オーケストラ 2013年11月セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりである。

ドイツ・ロマン派のピアニズムを体現したケンプに、端正で音の粒の揃ったアンスネス。

彼らの演奏には、「優しさ」がある。

その点が、普段ベートーヴェンを得意とするバックハウスやグルダにはあまりない、この曲の大事な要素だと思う。

 

 

そして、当代一流の技巧的洗練に加え「優しさ」をも持ち合わせる藤田真央の演奏は、上のケンプ盤やアンスネス盤に並んでこの曲の理想的な名演となった。

音の粒の細やかに揃っていることにかけてはアンスネスと双璧で、その流麗な音階には聴き惚れずにいられない。

演奏様式の点では、あくまで古典的なアンスネスに対し、藤田真央は朝の空気のように爽やかなロマン性を湛えており、のちのショパンやシューマンら初期ロマン派の様式を指し示している。

この曲は、古典派の曲ではありながらもベートーヴェンの協奏曲の中では最もロマン的であり、こうした様式もしっくりくる。

 

 

個人的に好きな曲でもあり、さらに細かく見ていきたい。

何と言ってもベートーヴェンの曲では、音型やモチーフの扱いに細心の注意が求められる。

第1楽章、冒頭の「タタタタ」の四音は全曲にわたって登場するきわめて重要なモチーフだが、そのアーティキュレーションはピアノとオーケストラとでしっかり統一してほしいところ。

例えばケンプ盤ではレガートで、アンスネス盤ではノン・レガートで統一されているが、ポリーニ盤ではピアノ(レガート)とオーケストラ(スタッカート)で齟齬がある。

ツィメルマン盤に至っては、ピアノだけでも脈絡なくレガートとスタッカートが混在してしまう。

今回の藤田真央の演奏は、ピアノもオーケストラも共に優しめのスタッカートとなっており、曲のイメージにもぴったり合う。

 

 

また、この曲では「歌」「推進力」「軽やかさ」の3つの共存を求めたい。

ツィメルマン盤は壮麗だが歌に欠け、フェルナー盤は歌はあるが少しまったりしていて推進力には乏しい。

ポリーニ盤やポール・ルイス盤は歌も推進力もあるが、ペダルが深めであり、もう少し軽やかさが欲しい。

終楽章など、ポリーニは冒頭の主題をペダルでほぼ全てつないでしまうし、ルイスはオケ総奏による主題確保後にピアノが経過句を引き継ぐ箇所でペダルを使いすぎ、左手の急速パッセージが濁っている。

この美しい終楽章では、オケによるひそやかな入りの後、明朗なピアノが一瞬にして霧を晴らし、場の空気をぱっと変えてほしい。

あたかも、青空へと軽快に飛び立つ一羽の鳥のように。

それを実現しているのが、ケンプでありアンスネスであり、そして今回の藤田真央だと思う。

 

 

今回のミュンヘン公演の数日前、藤田真央はロシアでも同じ曲を弾いたが、同地で彼の演奏は「ナイチンゲールの歌であり、慎ましい様式だがきわめて自由で、決して鳥かごを知らない」と評されたという。

至言である。

 

 

 

 

 

後半の曲は、ブラームスの交響曲第1番。

この曲で私の好きな録音は

 

●フルトヴェングラー指揮 ルツェルン祝祭管 1947年8月27日ルツェルンライヴ盤(CD

●フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル 1947年11月17-20,25日セッション盤(CD

●フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル 1952年2月10日ベルリンライヴ盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1963年10月11,12日セッション盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1977年10月20日、1978年1月24-27日、2月19日セッション盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1987年1月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

他に、フルトヴェングラーにはNDR響(1951)やウィーン・フィル(1952)とのライヴ盤、カラヤンにはウィーン・フィルとのセッション盤(1959)やベルリン・フィルとの最晩年の東京・ロンドンライヴ盤(1988)などがあり名高いが、演奏面・音質面併せ私が特に好きなのは上記のもの。

ベートーヴェンの交響曲第10番ともいうべき、「苦悩から歓喜へ」を体現したドラマティックな演奏が好みである。

 

 

今回のゲルギエフ&ミュンヘン・フィルの演奏は、第1楽章展開部から再現部にかけてや、終楽章再現部からコーダにかけての盛り上げ方が、フルトヴェングラーやカラヤンに通じるところがあって良かった。

ただ、それがずっと維持されるわけではなく、地の文(クライマックスでない経過句など)では弛緩しがちなのが惜しいところ。

とはいえ、近年の演奏の中では悪くないものであったように思う。

 

 

 

 

 

このコンサートの配信は、日本時間で12月20日(日)の午前4時まで。

未聴の方はぜひ。→ Stream: Münchner Philharmoniker (mphil.de)

 

 

 

 


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