大阪フィルハーモニー交響楽団 第543回定期 尾高忠明 マーラー 交響曲第5番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団

第543回定期演奏会

 

【日時】

2020年11月14日(土) 開演 15:00 (開場 14:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】

指揮:尾高忠明

管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

(コンサートマスター:崔文洙)

 

【プログラム】

G.ウィリアムズ:海のスケッチ

マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

 

 

 

 

大フィルの定期演奏会を聴きに行った。

指揮は、音楽監督の尾高忠明。

前半の曲は、英国ウェールズ出身の作曲家グレース・ウィリアムズ(1906-1966)の「海のスケッチ」という曲。

BBCウェールズ響の首席指揮者を務めていた尾高忠明(現在は桂冠指揮者)にふさわしい曲だが、残念ながら私は用事のため聴くことができなかった。

 

 

休憩をはさんで、後半の曲はマーラーの交響曲第5番。

この曲で私の好きな録音は

 

●バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル 1987年9月フランクフルトライヴ盤(NMLApple MusicCD

●ブーレーズ指揮 ウィーン・フィル 1996年3月セッション盤(NMLApple MusicCD

●西本智実 指揮 ロイヤル・フィル 2009年9月21日東京ライヴ盤(CD

 

あたりである。

肥大した感情の爆発と神経質な繊細さ、こういった矛盾を共存させた近代的、世紀末的、後期ロマン派的な表現をするバーンスタイン。

感情表現を極力排し、現代音楽を予見させるマーラーの精緻な作曲技法に焦点を当てたブーレーズ。

近代的不安や矛盾は措いて、ベートーヴェン、マーラー、ショスタコーヴィチと受け継がれた交響曲第5番の系譜、すなわち「苦悩から歓喜へ」の古典的な悲劇的交響曲の図式を忠実に体現した西本智実。

 

 

今回の尾高忠明&大フィルの演奏は、これら3つの中では西本智実に近い、マーラーの近代性よりも古典性にウェイトを置いたアプローチだった。

ただし、近いといっても、西本智実のようなドラマ性は聴かれない。

古典的均衡を保ちながらも悲劇を予感させる第1楽章冒頭、重苦しい最強音に圧倒される第1楽章終盤、鋭い悲鳴のような第2楽章冒頭、ロマン的憧憬に満ちた第4楽章、そして圧倒的な歓喜の叫びとなる終楽章コーダ、こうしたドラマティックな西本智実盤に慣れてしまうと、そうでない演奏がどうも物足りない。

とはいえ、尾高忠明の抑制のきいた表現は、こうした大編成の曲(今回16型、四管編成)においては好ましい(大編成の曲で下手に熱く騒々しい演奏をされるよりはずっと良い)。

特に第3楽章は、彼の穏やかな音楽性がレントラー風の曲想にマッチしており、ヴァイオリン群によって奏でられるメロディなど何ともさわやかで美しかった(ホルンの高橋将純も概ね好調)。

 

 

それにしても、生で聴く大編成オーケストラの迫力には、格別のものがある。

終演後のスピーチでの尾高忠明の言葉、「コロナ禍のこのご時世にこんな大編成の曲をやってしまうバカなオーケストラは、世界を見渡しても大フィルしかいない」。

この時期に大フィルを聴ける境遇をありがたく思う。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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