今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
下記のリブログ元の記事、大変興味深く読ませていただいた。
特に、コンサートマスターについて。
以下に引用してみたい。
“一番厳しい職業、コンサートマスター。
あの位置に座る人は大抵、
最初からコンサートマスターなんです。
2nd首席からコンマスになる人もいますが
Tuttiでオケの経験がある人はあまり無く、
オケをまとめるコンマスが新人さんだと
オーケストラの経験が最も浅いというわけで。
後ろのベテラン達から期待の眼差しを受け
バイオリンが上手ければ良いだけではなく
コンマスとしての仕事もする必要がある、
仲間の中にも厳しい人が少なからずいる、
お客様にも厳しい方々が沢山いらっしゃる、
そう、コンマスだから。
新人のコンマスって、一般で例えると、
22歳新卒で縁故無く常務取締役に就任とか、
そんな妄想も言い過ぎでは無いと思うのです、
そう考えると物凄く仕事が出来るでしょう?
某コンマスに聞いたことがあります。
最初に行ったオーケストラについて尋ねると
「あそこに居た時の自分は黒歴史しかない」
あー、コンマスもそう思ってるんだ、、、
と思って少し安堵。”
以上である。
コンサートマスターは、ヴァイオリンが上手ければ良いわけではなく、「コンマスとしての仕事」をする必要があるらしい。
それはいったい、何なのか。
私は、例えばよく聴く大阪フィルのコンサートで、指揮者によって音楽が全く異なることはしばしば体験したけれど、コンマスが田野倉雅秋のときと崔文洙のときとで音楽に大きな違いを感じたことはない。
また、私は以前の記事やそのコメント欄でも少し書いたことがあるけれど(その記事はこちら)、私がベルリン・フィルの歴代のコンマスの中でもシモン・ゴールドベルクがとりわけ好きなのは、ほかでもない彼のソロ・パートの素晴らしさの故であって(フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「ティル」のヴァイオリン・ソロは彼の演奏だと私は信じている)、ソロ部分以外のコンマスの個性は私にはよく分からない。
同じベルリン・フィルでも、フルトヴェングラーが振った1930年の「ティル」とエーリヒ・クライバーが振った1930年の「ティル」とを聴き比べると、あるいはワルターが振った1930年の「ばらの騎士」ワルツとエーリヒ・クライバーが振った1931年の「ばらの騎士」ワルツとを聴き比べると、全く同じ人たちが弾いていて棒を振る人ただ一人のみが違うのだとはおよそ信じられないほどに、全く違った音楽となっている。
しかし、それほど違う「ティル」でもコンマスはおそらく同じゴールドベルクだし、ヴァイオリン・ソロのない曲に至ってはコンマスが誰なのかさえ私には判別できない。
以前の記事にも書いたが(その記事はこちら)、フルトヴェングラーがコンマスであるゴールドベルクのことをいかに大事にしていたかが分かるエピソードがいくつもある。
当時のゴールドベルクは、20歳そこそこの若者。
それこそ、上の記事に書いたようなエピソードは「黒歴史」と言ってもいいくらい。
あのプライド高きフルトヴェングラーがそれほどまでに買っていたゴールドベルクの才能とは、何だったのか。
帝王カラヤンも、ベルリン・フィルのコンマスとして招聘したミシェル・シュヴァルベを丁重に扱ったという。
ゴールドベルクは、16歳でドレスデン・フィルのコンマスに就任した後、フルトヴェングラーの引き抜きにより20歳でベルリン・フィルという世界一のエリート集団の“取締役”となった。
ドレスデンでの4年間でコンマスの仕事を完全にマスターしていたのか、それとも生まれながらにしてコンマスの才能があったのか。
その才能とは、演奏自体のうまさなのか、皆が合わせやすいような身体の動かし方なのか、本番以前の段階での皆の意見のまとめ方なのか、はたまたもっと漠然としたリーダーシップ的オーラなのか。
あるいは、そもそも指揮者の考える理想のコンマスと、オーケストラ団員の考える理想のコンマスは、同じなのかどうか。
昨年の仙台コンクールのヴァイオリン部門ではコンマスとしての審査があったが(その記事はこちら)、どういった点が評価されたのか。
興味は尽きない。
一度、同じ定期演奏会の1日目と2日目とでコンマスを変える、ということをやってみてほしい気がする。
同じ曲、同じ指揮者で、コンマスの違いがどれだけ演奏に表れるだろうか。
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