大阪フィルハーモニー交響楽団 第532回定期 尾高忠明 R.シュトラウス 4つの最後の歌 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団

第532回定期演奏会

 

【日時】

2019年10月26日(土) 開演 15:00 (開場 14:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】

指揮:尾高忠明

オーボエ:フィリップ・トーンドゥル *

ソプラノ:ゲニア・キューマイヤー #

管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

(コンサートマスター:崔文洙)

 

【プログラム】

R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 作品7
R.シュトラウス:オーボエ協奏曲 ニ長調 *
R.シュトラウス:交響詩「死と変容」 作品24
R.シュトラウス:四つの最後の歌 #

 

※アンコール(ソリスト) *

ブリテン:オウィディウスによる6つの変容 作品49 より 第1曲 Pan

 

 

 

 

 

大フィルの定期演奏会を聴きに行った。

指揮は、音楽監督の尾高忠明。

今年はR.シュトラウス没後70年であり、それを記念してか、今回はオール・R.シュトラウス・プログラムとなっている。

 

 

最初の曲は、R.シュトラウスの「13管楽器のためのセレナード」。

この曲で私の好きな録音は、

 

●デ・ワールト指揮 オランダ管楽アンサンブル 1971年1月セッション盤(NMLApple MusicCD

●ホリガー指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団管楽ソロイスツ 1993年1月13日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

きびきびしたデ・ワールト盤と、まったりしたホリガー盤。

今回の尾高忠明&大フィルの演奏は、この2者の間くらいのテンポだった。

特別な美しさはないものの、祝祭的な明るい雰囲気で、演奏会の開始を告げる良いファンファーレとなった。

 

 

次の曲は、R.シュトラウスのオーボエ協奏曲。

この曲で私の好きな録音は、

 

●コッホ(Ob) カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1969年9月20-22日セッション盤(NMLApple MusicCD

●シェレンベルガー(Ob) レヴァイン指揮 ベルリン・フィル 1989年5月セッション盤(NMLApple MusicCD

●ゴリツキ(Ob) エッシュバッハー指揮 ローザンヌ室内管 1989年頃セッション盤(Apple MusicCD

●スモール(Ob) シュワルツ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィル 2005年頃セッション盤(NMLApple MusicCD

●シーリ(Ob) ヤンソンス指揮 バイエルン放送響 2006年3月13日ミュンヘンライヴ盤(NMLApple MusicCD

●ルルー(Ob) ハーディング指揮 スウェーデン放送響 2009年セッション盤(Apple MusicCD

●アルブレヒト・マイヤー(Ob) フルシャ指揮 バンベルク響 2016年9月19-23日セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりである。

たくさん挙げすぎてしまったが、ここからさらに絞り込むことは、私には少し難しい。

ベルリン・フィルの3人(コッホ、シェレンベルガー、マイヤー)には独特の艶があるし、有名なバイエルン放送響の2人(シーリ、ルルー)もやはりうまいし、また他の2人も劣ってはいない。

以前にも少し書いたが(その記事はこちら)、フルートやクラリネットについては、私にはとびきり好きな奏者がいる。

しかし、オーボエに関しては、この人でなければ!というほどの特別な奏者はまだいない。

フルートやクラリネットほどには、奏者間の差がつきにくいのだろうか(あるいは私の好みの問題?)。

今回のオーボエ奏者フィリップ・トーンドゥルは、1989年フランス生まれで、現在シュトゥットガルトSWR響とヨーロッパ室内管の首席奏者。

彼の演奏は、部分的に技術面での綻びもあったものの、全体的には上記の各名盤に概ね引けを取らない出来だったように思う。

ただ、前述の通り、私の中でオーボエ奏者の絶対的なロールモデルがまだいないので、少し心もとない。

いつか、特別な奏者が見つけられるといいのだが。

 

 

休憩をはさんで、次の曲はR.シュトラウスの交響詩「死と変容」。

この曲で私の好きな録音は、

 

●フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィル 1950年1月21、23、24日セッション盤(NMLApple MusicCD

●チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィル 1979年2月17日ミュンヘンライヴ盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1982年1月セッション盤(NMLApple MusicCD

●ナガノ指揮 エーテボリ響 2016年6月9-11日エーテボリライヴ盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

前3者はデモーニッシュで激烈な演奏、後1者はクリアで明晰な演奏。

今回の尾高忠明&大フィルの演奏は、どちらかというと前者寄りのアプローチだった。

フルトヴェングラーやカラヤン、チェリビダッケほどの強烈なインパクトがあったかというと、そこまでではない。

しかし、尾高忠明は普段「中庸の美」というか、穏やかでマイルドな、悪く言うと微温的な音楽をするイメージがあった(今回も序奏部はそう感じた)のだが、今回、主部に入ってからの演奏の激しさはなかなかのものだった。

それでいて、はみ出しすぎるようなことはなく、彼ならではの中庸の感覚も健在。

オーケストラも良く、ときに危ういこともある金管群が今回はしっかり安定していた。

充実した佳演だったと思う。

 

 

最後の曲は、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」。

傑作だけあって名盤も多く、歌の良いものとしてはデラ・カーザ盤、シュヴァルツコップ1953年盤、オジェー盤、ボニー盤等が、また指揮の良いものとしてはカラヤン1985年盤、デ・ワールト盤、ネゼ=セガン盤等がある。

しかし、歌・指揮ともに最良の録音はというと、

 

●フラグスタート(Sop) フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管 1950年5月22日ロンドン世界初演ライヴ盤(CD

●シュヴァルツコップ(Sop) カラヤン指揮 フィルハーモニア管 1956年ロンドンライヴ盤(NMLApple MusicCD

●シュヴァルツコップ(Sop) セル指揮 ベルリン放送響(旧RIAS響) 1965年9月1-3日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりだと私は考えている。

この3盤はいずれも、隆盛を誇ったドイツ・ロマン派音楽の最後の一雫ともいうべきこの曲の持つ、妖しくも寂しいロマンティシズムを表現しつくしている。

今回の尾高忠明&大フィルは、そこまでの表現はなかったけれど、それでもしみじみとした良い演奏だった。

第2曲「9月」では、各フレーズが終わるたびにリタルダンド(テンポを落とす)していて「あれっ」と思ったけれど、それ以外にはクセの少ない、穏当な解釈だった。

彼の指揮のマイルドな重厚感、および曲との一定の距離感は、(例えばブルックナーやマーラーに比べ)R.シュトラウスの音楽に合っているような気がする。

そういえば、彼の大フィル音楽監督就任最初の定期もR.シュトラウスの曲だった。

なお、今回歌唱を担当したのは、1975年ザルツブルク生まれのソプラノ歌手、ゲニア・キューマイヤー。

声量が小さく、また高音部が苦しそうで、硬い声質になってしまってはいたけれど、そのぶん表現力があり、また音程も確か。

よく聴かれるような、叫びがちの「イマイチなヴァーグナー歌手」たちとは違っていた。

特に、終曲「夕映えの中で」の終盤で、声のトーンを力なく落としていくやり方は、沈みゆく「ヨーロッパの栄光の時代」の寂寞を的確に表現しているように感じた。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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