KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2019
ウィリアム・ケントリッジ 『冬の旅』
【日時】
2019年10月18日(金) 開演 19:00
【会場】
京都造形芸術大学 京都芸術劇場 春秋座
【スタッフ&キャスト】
演出・映像:ウィリアム・ケントリッジ
舞台美術:装置:ザビーネ・トイニッセン
衣裳:グレタ・ゴアリス
照明:ヘルマン・ソルゲロース
映像編集:スネジャナ・マーロヴィチ
映像オペレーター:キム・ガニング
舞台監督:サンドラ・ホフマン
技術・照明マネージャー:クリスチャン・ラクランプ
バリトン:マティアス・ゲルネ
ピアノ:マルクス・ヒンターホイザー
【プログラム】
シューベルト:歌曲集《冬の旅》 作品89
京都造形芸術大学で行われた、バリトン歌手マティアス・ゲルネの歌うシューベルトの「冬の旅」とともに、現代美術家ウィリアム・ケントリッジが「冬の旅」のイメージをもとに作製した独自の映像を流す、という風変わりなコンサートを聴きに行った。
シューベルトの「冬の旅」はリート歌手にとっては聖典のような曲だけあって名盤が目白押しだが、中でも私は、
●F=ディースカウ(Bar): ビリング(Pf) 1948年盤(NML/Apple Music/CD)、ムーア(Pf) 1955年盤(NML/Apple Music/CD)、ブレンデル(Pf) 1985年盤(NML/Apple Music/CD)
●プレガルディエン(Ten): シュタイアー(F・Pf) 1996年盤(NML/Apple Music/CD)、ゲース(Pf) 2012年盤(NML/Apple Music/CD)
●ボストリッジ(Ten): ドレイク(Pf) 1997年盤(DVD)、アンスネス(Pf) 2004年盤(NML/Apple Music/CD)、アデス(Pf) 2018年盤(Apple Music/CD)
●ゲルネ(Bar): ジョンソン(Pf) 1996年盤(CD)、ブレンデル(Pf) 2003年盤(NML/Apple Music/CD)、エッシェンバッハ(Pf) 2011年盤(NML/Apple Music/CD)
の4人の歌手による録音がとりわけ好きである。
私は、シューベルト、シューマン、ヴォルフといった作曲家のリート(歌曲)においては、彼らが早逝したこともあってか、若々しく透明感のある軽めのテノールによる歌唱を好むことが多い。
しかし、シューベルトのあまりにも陰鬱な歌曲集「冬の旅」に限っては、バリトン歌手による低音域の重い歌唱、それも若い歌手の朗々たる声のみならず、より後年の枯れた味わいも捨てがたく感じる。
これだけ数多くの盤を挙げることになったのは、そのためである。
今回のゲルネの演奏も、期待通り素晴らしいものだった。
低く渋い声だが、声質はどこまでも澄んでいる。
音程もほぼ完璧で、一昨年に聴いたパドモアの歌う「水車屋の娘」(その記事はこちら)で感じた不安定さは全くなかった。
有名な第1曲「おやすみ」や第5曲「菩提樹」における、繊細で柔らかな表現。
第7曲「川の上で」の終盤や、第8曲「回想」における、驚くべき劇的な迫力と、それでいて決してオペラにはならない内省的な感覚。
その他、第15曲「からす」も、第21曲「宿屋」も、そして終曲「ライアー回し」も、どれもこれも文句ない美しさだった。
ゲルネは、現在52歳。
昨年聴いたプレガルディエン(その記事はこちら)より10歳ほど若いこともあってか、枯れた味わいというよりも、むしろまだまだ全盛期という印象を受けた。
私はこれまでリートを実演で聴く機会をそれほど多く持ってこなかったのではあるけれど、それでも何度か聴いたリート演奏会の中で、今回のゲルネは最高のものだったと言っていいかもしれない。
ピアノのヒンターホイザーがまた大変良かった。
彼の持ち味は完璧にコントロールされたタッチというよりも、むしろ質朴で自然体の味わいである。
上記の各種名盤の中では、ジェラルド・ムーアの演奏に近いだろうか。
上述した一昨年のパドモアのコンサートでは、フェルナーのピアノのあまりの美しさに涙し、歌よりもピアノのほうについ耳が行ってしまったのだったが、今回のヒンターホイザーの場合は違う。
歌手を霞ませるほどの歌心を持つわけでもなければ、繊細きわまりない表現をするわけでもないのだが、彼の演奏は慎ましくもどこか思慮深く、その灰色のトーンがこの曲にとてもよく合っている。
彼の滋味あふれる演奏は、歌手にそっと寄り添いながら、この「冬の旅」の孤独な独り旅の世界を過不足なく表現していた。
なお、演奏のあまりの素晴らしさに心奪われ、映像についてはあまりしっかり観る余裕がなかった。
手書きの絵が少しずつ動いていくといった調子の映像で、曲ごとにテーマが変わり、その変化が演奏のタイミングにぴったり合わせられた、凝ったものではあった。
絵の色彩は全体的に渋く、「冬の旅」の世界を邪魔しないものであったことには好感が持てたが、映像監修者ケントリッジの意図するメッセージについてはよく分からない。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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