プレガルディエン ゲース 京都公演 シューマン 「詩人の恋」 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース

 

【日時】

2018年11月3日(土・祝) 開演 15:00 (開場 14:30)

 

【会場】

青山音楽記念館バロックザール (京都)

 

【演奏】

テノール:クリストフ・プレガルディエン

ピアノ:ミヒャエル・ゲース

 

【プログラム】

シューベルト:歌曲集

 遊びにおぼれて(J.W.ゲーテ)D715

 歓迎と別れ(J.W.ゲーテ)D767

 夜の曲(J.マイアフォーハー)D672

 別れ(J.マイアフォーハー)D475

 我が心に(E.シュルツ)D860

 孤独な男(K.ラッペ)D800

 白鳥の歌より 我が家(L.レルシュターブ)D957-5

 母なる大地(F.L.ストロルク)D788

 月に寄す(J.W.ゲーテ)D259

 休みない愛(J.W.ゲーテ)D138

 白鳥の歌より 別れ(L.レルシュターブ)D957-7

シューマン:詩人の恋 op.48

 

※アンコール

シューマン:リーダークライスより ミルテとバラを持って op.24-9

シューマン:5つのリートと歌より おまえの顔は op.127-2

シューマン:リーダークライスより 月の夜 op.39-5

シューベルト:セレナーデ D957-4

シューベルト:夜と夢 D827

 

 

 

 

 

クリストフ・プレガルディエンのリート・リサイタルを聴きに行った。

これまで、関西公演はほとんどなかったように思われるが、今回は行われた。

それも、シューベルトの歌曲集とシューマンの「詩人の恋」、という素晴らしいプログラム。

ピアノも、長年共演しているミヒャエル・ゲース。

ありがたい限りである。

 

 

プレガルディエンも、もう62歳。

レオンハルト指揮ラ・プティット・バンドの「マタイ受難曲」の録音でエヴァンゲリストを歌ったとき(当時33歳)の若々しい声とは、もちろん異なる。

しかし、そのぶん貫禄や風格のようなものが備わり、声が低くなったことも相まって、シューベルトの「我が家」などフィッシャー=ディースカウを思わせるような迫力があった。

 

 

後半のシューマンの「詩人の恋」、この曲で私の好きな録音は

 

●ボストリッジ(Tn) ドレイク(Pf) 1997年7月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

若き詩人の傷つきやすい心を存分に表現した、繊細きわまりない演奏。

それに対し、今回のプレガルディエンの歌唱は、細部の繊細な表現にこだわるというよりは、むしろ全体としての風格を重視した、抑制的な表現だった。

年齢を重ねてから青年時代を顧みるような、そんな落ち着きが感じられた。

こういうシューマンも良い。

なお、第7曲「恨みはしない」の終盤での高い「A」の音は歌わず、低めにしてあったが(「D」か何か)、そのぶん力強くずっしりとした味があった。

 

 

アンコールを5曲もやってくれたのも、嬉しかった。

アンコールに至るまで曲目がシューベルトとシューマンに統一されており、全体としてこの2人の作曲家の天才を心ゆくまで味わえる構成になっていた。

 

 

なお、ピアノのゲースもなかなか良かった。

技巧的には完全とはいえず、弾き流すような不安定な部分もあるけれど、歌曲伴奏ピアニストとして長年やっているだけあって、ロマン的な歌心があった。

そして、「詩人の恋」の後奏。

歌手を突っ立たせたままピアノが一人ファンタジーを紡いでいく、おそらくシューマンにしか書けないであろう、美しいエピローグ。

ゲースはここで、上記ボストリッジ盤におけるドレイクの静謐な演奏とは違って、もっと音楽を大きく盛り上げていく。

そしてその頂点の後、静かに曲を閉じる。

最後の一音など、聴こえるか聴こえないかというくらいの弱音。

その大きな幻想の波が、大変印象的だった。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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