ルツェルン音楽祭2 ムジカエテルナ クルレンツィス モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ルツェルン音楽祭2019

「コジ・ファン・トゥッテ」

 

【日時】

2019年9月15日(日) 開演 16:00

 

【会場】

ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)

 

【演奏】

指揮:テオドール・クルレンツィス

管弦楽・合唱:ムジカエテルナ

(コンサートマスター:Afanasy Chupin)

 

フィオルディリージ:Nadezhda Pavlova (ナデージダ・パヴロヴァ)

ドラベラ:Paula Murrihy (ポーラ・マリヒー)

グリエルモ:Konstantin Suchkov (コンスタンティン・スチコフ)

フェルランド:Mingjie Lei (ミンジェ・レイ)

デスピーナ:Cecilia Bartoli (チェチーリア・バルトリ)

ドン・アルフォンソ:Konstantin Wolff (コンスタンティン・ヴォルフ)

 

【プログラム】

モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」 ※演奏会形式

 

 

 

 

 

前日の「ドン・ジョヴァンニ」に引き続き(その記事はこちら)、ルツェルン音楽祭でクルレンツィス指揮ムジカエテルナの「コジ・ファン・トゥッテ」を聴いた。

やはり、とてつもない。

前日のものすごい「ドン・ジョヴァンニ」に衝撃を受けた後でも、全く色あせることなく、さらなる感動をもたらしてくれる。

 

 

「コジ・ファン・トゥッテ」は、モーツァルトが死の約2年前に書いた曲。

もうすでに、後期の様式に少し足を踏み入れている。

「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」と同様に活気に満ち溢れた曲なのだけれど、「コジ」ではそれに加え、ところどころに純粋で透明な、天国的ともいえる情感が顔をのぞかせる。

例えば、第1幕での別れの5重唱「Di scrivermi ogni giorno」(毎日手紙を書いてね)や、それに続く、この世のものとも思えない3重唱「Soave sia il vento」(風よ穏やかに)。

また、第1幕フィナーレ直前のフェルランドのアリア「Un'aura amorosa」(愛の息吹は)や、第2幕のフィオルディリージのロンド「Per pietà, ben mio, perdona」(愛しい人よ許してください)。

これらの曲の美しさは、すでに最晩年の「魔笛」の世界を指し示している。

こういうところの表現が、クルレンツィスは本当にうまい。

細かいニュアンスにまで気を配った、えも言われぬ弱音。

彼は、最高に笑わせてくれるのみならず、最高に泣かせてくれる。

 

 

「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」風の要素と、「魔笛」風の要素とが、そのまま並列した音楽。

これは、欺瞞や悪ふざけと、真実の心とが悪魔的に共存した「コジ」の物語に、きわめてふさわしいように思われる。

そのことを、心から実感させられる演奏だった。

ドン・アルフォンソは言う、恋人の早い心変わりを罪と言ったり魔性と言ったりするけれど、それはいつも真実の心なのだ、と―。

カルメンだってルルだって、つまるところ自分に正直に、素直な心で生きているにすぎない。

善悪二元論で片付くおとぎ話とは違う、この苦い現実の本当の「真実の心」を、それに全くふさわしい音楽で照らし出し、高笑いしながら優しく包み込んでくれるモーツァルト。

「コジ」を、400年にわたるオペラの歴史の中でも最高傑作に数える向きがあるが、その気持ちがわかる気がした。

 

 

歌手では、前日の「ドン・ジョヴァンニ」でドンナ・アンナを歌った、フィオルディリージ役のナデージダ・パヴロヴァがやはり別格だった。

クルレンツィスのCDで同役を歌っているジモーネ・ケルメスもいい線行ってはいるのだが、パヴロヴァはそれ以上である。

一つ一つの音を大事に扱った、デリケートな発声。

厚めのヴィブラートでごまかさず、狙った音高や音量をぴたりと射当てて外さない。

上述の3重唱など、他の2人も十分に美しい歌声だし、3声のバランスも良いのだが、それでもパヴロヴァの声があまりに繊細かつ表情豊かなので、ついソプラノにばかり耳が行ってしまった。

ちょうど、キアロスクーロ四重奏団において、4人全員うまいのだがアリーナ・イブラギモヴァがもう格別にうまく、つい第1ヴァイオリンばかり聴いてしまうのとよく似ている。

上述の第2幕のロンドも、夢のように美しかった。

私は、バーバラ・ボニー、クラロン・マクファデン、ゲルリンデ・ゼーマンといったお気に入りのソプラノ歌手たちに続く人材が近年とんと現れないと嘆いていたのだが、ついに見つけてしまった。

それも、リリコでなくコロラトゥーラで、このような繊細な表現ができる人に出会おうとは。

 

 

他の歌手では、デスピーナ役のチェチーリア・バルトリが、さすがの貫禄で芸達者なところを見せていた。

医者の電気ショック療法や公証人の裏声など、堂に入った演技が見事。

男声陣では、グリエルモ役のコンスタンティン・スチコフが、声の通りが良く存在感があった。

オーケストラも、全員うまいソリスト集団なのだが、とりわけ印象に残ったのが弦楽器群とクラリネット。

弦は、速弾きしても濃厚な表現をしても、決して濁らず純で爽快な音がするのがすごい(特にヴァイオリン群)。

クラリネットは、上述の第2幕のフィオルディリージのロンドでオブリガートの役割を果たすのだが、これがまた繊細きわまりない。

ナデージダ・パヴロヴァの美声にふさわしいオブリガートだった。

 

 

終演とともに、2019年のルツェルン音楽祭は幕を閉じた。

あのあまりにも美しい3重唱が、頭の中で忘れがたく何度も鳴り響く。

願わくば、このメンバーで録音し直してほしいというのは、贅沢に過ぎる願望だろうか。

 

 

 

 

 

 


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