ルツェルン音楽祭2019
「ドン・ジョヴァンニ」
【日時】
2019年9月14日(土) 開演 18:30
【会場】
ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)
【演奏】
指揮:テオドール・クルレンツィス
管弦楽・合唱:ムジカエテルナ
(コンサートマスター:Afanasy Chupin)
ドン・ジョヴァンニ:Dimitris Tiliakos (ディミトリス・ティリアコス)
騎士長:Robert Lloyd (ロバート・ロイド)
ドンナ・アンナ:Nadezhda Pavlova (ナデージダ・パヴロヴァ)
ドン・オッターヴィオ:Kenneth Tarver (ケネス・ターヴァー)
ドンナ・エルヴィーラ:Federica Lombardi (フェデリカ・ロンバルディ)
レポレロ:Kyle Ketelsen (カイル・ケテルセン)
マゼット:Ruben Drole (ルーベン・ドロール)
ツェルリーナ:Christina Gansch (クリスティーナ・ガンシュ)
【プログラム】
モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」 ※演奏会形式
生まれて初めて、ルツェルン音楽祭を聴きに行った。
好きな指揮者、テオドール・クルレンツィスの振るモーツァルトのダ・ポンテ・オペラを聴くためである。
クルレンツィスのCDは数多くリリースされ、どの曲も名演となっているが、特にモーツァルトのダ・ポンテ・オペラ三部作は、パーセルの「ディドとエネアス」と並んで、彼の演奏の最高峰だと思う。
先日に日本で聴いたチャイコフスキーも良かったのだけれど(その記事はこちら)、どうしても彼の振るモーツァルトのダ・ポンテ・オペラを生演奏で聴いてみたかったのだ。
1ヶ月間にわたって開催されるルツェルン音楽祭の中でも、最後を飾るのがクルレンツィス。
公演は4日間。
9月12日 「フィガロの結婚」
9月13日 チェチーリア・バルトリとのガラ・コンサート
9月14日 「ドン・ジョヴァンニ」
9月15日 「コジ・ファン・トゥッテ」
これらの公演のいずれもがほぼ完売だった。
彼は、本場ヨーロッパでも相当に高い評価を受けていることが分かる。
4つの公演のうち、私が聴いたのは、後半の2つである。
まずは、「ドン・ジョヴァンニ」。
この曲、クルレンツィスのCDをこれまで何度も聴いているのに、いざ生演奏を聴くと、もう衝撃的に素晴らしかった。
一つ一つの音、一つ一つのフレーズが、まるで生き物のように躍動している。
その鮮烈な迫力は、CDとは比較にならない。
序曲といい、カタログの歌といい、シャンパン・アリアといい、心浮き立ち身体が思わず動き出してしまうようなリズム感である。
そして、とりわけすごかったのが、第1幕、第2幕それぞれのフィナーレ。
ありとあらゆる楽想が、これでもかと畳みかけるように次々と聴き手に迫りくる。
ベートーヴェンの交響曲第7番にも劣らず熱狂的な第1幕フィナーレ、ベートーヴェンの交響曲第5番にも劣らず悲劇的な第2幕フィナーレに、もう圧倒されるしかない。
交響曲ではまだおとなしいモーツァルトが、オペラともなると完全にタガを外して複雑かつ精緻な書法をめいっぱい盛り込み、時代を先取りした劇的な効果を発揮している。
そのことをすっかり分からせてくれる、最高の名演だった。
歌手では、ドンナ・アンナ役のナデージダ・パヴロヴァが格段に良かった。
すっきりとした細身の声で、音程の正確性がきわめて高い。
音楽表現も実に細やか。
特に、第1幕のアリア「Or sai chi l'onore」(もうお分かりでしょう)とその前のレチタティーヴォが白眉。
大変にドラマティックでありながら、全く声が荒れず、洗練され切っている。
同じロシア出身の天才ヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァの弾くベートーヴェンの「クロイツェル」ソナタ(その記事はこちら)を彷彿させる、真にデモーニッシュな凄演だった(演奏中の身体の動きもどことなく似ている)。
有名な第2幕のアリア「Non mi dir, bell'idol mio」(言わないで、愛しい方)も、同様の素晴らしさ。
CDでのドンナ・アンナ役、ミルト・パパタナシュも悪くないのだが、ナデージダ・パヴロヴァはそれをさらに大きく上回る。
これほどのドンナ・アンナは、他に聴いたことがない。
他の歌手では、CDでもおなじみのツェルリーナ役、クリスティーナ・ガンシュが相変わらず良かった。
ドン・ジョヴァンニ役のディミトリス・ティリアコスの声は、この役柄としてはやや弱い印象。
ただ、それは往年の名バス歌手、チェーザレ・シエピの録音を聴きすぎた私のほうのせいもあるだろう。
他の歌手や合唱団も含め、全体としてレチタティーヴォやアリア、重唱のすみずみに至るまで、精緻な「歌の演技」が全員に徹底されていて、血の通っていない棒読み風の箇所など皆無であった。
歌だけでなく、身振りの演技もかなり細かく作り込まれていて、劇としても過不足を全く感じない(ときにクルレンツィス本人さえ演技に加わっていた)。
下手な舞台演出に邪魔されることのない、こうした良質の演奏会形式こそ、通常のオペラ上演にも増して、理想的な「作品の再現」にふさわしい手法なのではないか。
そう思えるほどの完成度の高さだった。
なお、最後は地獄落ちまでで終了、と思わせておいて、カーテンコールの後にクルレンツィスが身振りで観客の拍手を止め、まるでアンコールのように最終場の6重唱を演奏する、といった粋な演出もあった。
耳の肥えているであろうルツェルンの観客が、ほぼ全員スタンディングオベーションで熱烈な声援を送っていたのも印象的だった。
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