びわ湖ホールプロデュースオペラ 京都市交響楽団 沼尻竜典 ヴァーグナー 「ジークフリート」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

びわ湖ホールプロデュースオペラ

ワーグナー作曲 《ニーベルングの指輪》 第2日 『ジークフリート』(ドイツ語上演・日本語字幕付) <新制作>

 

【日時】

2019年3月3日(日) 開演 14:00 (開場 13:15)

 

【会場】

びわ湖ホール 大ホール (滋賀)

 

【スタッフ&キャスト】

指揮:沼尻竜典 (びわ湖ホール芸術監督)

演出:ミヒャエル・ハンペ

美術・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ

照明:齋藤茂男

音響:小野隆浩 (びわ湖ホール)

演出補:伊香修吾

舞台監督:幸泉浩司

 

ジークフリート:クリスティアン・フォイクト

ミーメ:高橋淳

さすらい人:ユルゲン・リン

アルベリヒ:大山大輔

ファフナー:斉木健詞

エルダ:八木寿子

ブリュンヒルデ:ステファニー・ミュター

森の小鳥:吉川日奈子

 

管弦楽:京都市交響楽団

 

【プログラム】

ヴァーグナー:「ジークフリート」

 

 

 

 

 

びわ湖ホールで一昨年から毎年行われている、ヴァーグナー「ニーベルングの指環」シリーズ。

四部作を一年に一作ずつ、計4年かけて演奏される。

今年は「ジークフリート」だった。

演出はミヒャエル・ハンペ、指揮は沼尻竜典、管弦楽は京都市交響楽団。

 

 

ヴァーグナーの「ジークフリート」で私の好きな録音は、

 

●コーツ、ヘーガー指揮ロンドン響 1929年5月、1930年5月&1931年5月セッション盤(NMLCD) ※全曲ではなく抜粋

●フルトヴェングラー指揮RAIローマ響 1953年11月10、13、17日ローマライヴ盤(CD

●ブーレーズ指揮バイロイト祝祭管 1980年6~7月バイロイトライヴ盤(DVD。音のみならNMLApple Music

●ヤノフスキ指揮シュターツカペレ・ドレスデン 1982年2~3月セッション盤(Apple MusicCD

●ヤング指揮ハンブルク州立歌劇場管 2009年10月18~22日ハンブルクライヴ盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

これらのうち、フルトヴェングラー、ブーレーズ、ヤングの3盤は、指揮が素晴らしい。

それに対し、コーツ/ヘーガーと、ヤノフスキの2盤は、歌手が良い。

前者では、ジークフリート役がラウリッツ・メルヒオール、さすらい人役がフリードリヒ・ショル。

後者では、ジークフリート役がルネ・コロ、さすらい人役がテオ・アダム。

それぞれ、20世紀前半、20世紀後半を代表する当たり役であり、あまりにも贅沢な取り合わせである。

コーツ/ヘーガーやヤノフスキの指揮はやや小粒で粗さもあるけれど、「ヴァルキューレ」や「神々の黄昏」は別として、「ジークフリート」にはこのスタイルも悪くないように思う(「指環」四部作を一つの大きな交響曲にたとえると、「ジークフリート」はややコミカルできびきびしており、さしずめスケルツォ楽章といったところであるため)。

 

 

前置きが長くなったが、今回の演奏は、どちらかというと指揮が素晴らしいタイプのものだったように思う。

沼尻竜典の指揮は、昨年の「ヴァルキューレ」同様(そのときの記事はこちら)、上記ブーレーズに通じるような、ヴァーグナーの音楽の劇的な側面よりも響きや構成面を重視した、純音楽的なアプローチであった。

第1幕のジークフリートとミーメのやりとりの覇気だとか、第3幕フィナーレの激しい愛の歓喜だとかはあまり感じられなかったけれど、そのぶん例えば第2幕の「森のささやき」や、第3幕のジークフリートとブリュンヒルデの出会いといったひそやかな場面の音楽では、実に美しい弦や管の透明なハーモニーが聴かれた。

こうしたところは、沼尻竜典の面目躍如である。

このようなアプローチによるヴァーグナーを振らせて、彼以上の演奏ができる日本人指揮者を、私は知らない。

 

 

歌手はというと、これといった特別な存在感を持つ人はいなかった(上述のメルヒオールやコロ、ショルやアダムと比べるのはさすがにかわいそうかもしれないが)。

ジークフリート役のクリスティアン・フォイクトは、声質はまずまずさわやかだが、声量がいまいちで英雄感が出ない(なお、この前日のキャストでは、上記ヤング盤にも歌っているクリスティアン・フランツがジークフリートを歌ったとのことであり、そちらも聴きたかった)。

ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュターは、声量はあったがやや叫びすぎるところもあり、総合的にはフォイクトとどっこいどっこいか。

ミーメ役の高橋淳、さすらい人役のユルゲン・リン、アルベリヒ役の大山大輔らは、それぞれの役どころに合った声質や歌い方であり、悪くなかったように思う。

 

 

ミヒャエル・ハンペの演出も、いつも通りプロジェクションマッピングを活用したもので、妙な自己流の解釈を盛り込まずオーソドックスなのが好印象。

もっとオリジナリティが欲しいと思う人もいるだろうが、私には十分である。

 

 

それにしても「ジークフリート」、傑作というほかない。

ジークフリートとブリュンヒルデの対面から愛の歓喜に至る音楽には、心から感動させられてしまう。

この2人の幸福な愛の二重唱は、この「ジークフリート」のフィナーレと、そのあとに続く「神々の黄昏」のプロローグの2箇所しかなく、それ以降は悲しい破滅が待っていると思うと、いっそう感慨深い。

また、父神ヴォータンの、いろいろと策略をめぐらし画策するけれども、どしっと構えておられずエルダやジークフリートにちょっかいをかけにくる「かまってちゃん」ぶり。

それでいて素直になれず威圧的になってしまい、冷たくされてショックを受けるあたりにも、何だか愛らしさを覚える。

壮大な神話を扱いながら、細かな人物描写にも長けたヴァーグナー。

現代の私たちが観ても、古さを感じない。

そして、そこにつけられた音楽の感動的なこと。

物語と同じく音楽も、壮大さと細やかさとが同居している。

いまさら言うまでもないけれど、ヴァーグナー、恐るべき人である。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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