イブラギモヴァ ティベルギアン 京都公演 ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)&
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)

デュオ・リサイタル

 

【日時】

2017年10月15日(日) 開演 15:00 (開場 14:30)

 

【会場】

青山音楽記念館バロックザール (京都)

 

【演奏】

ヴァイオリン:アリーナ・イブラギモヴァ
ピアノ:セドリック・ティベルギアン

 

【プログラム】

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K.379
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D934
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47 「クロイツェル」

 

※アンコール

シューベルト:「挨拶を贈ろう」 D741

 

 

 

 

 

私は、「好きなピアニストは?」と聴かれると多すぎて困ってしまうのだけれど、「好きなヴァイオリニストは?」と聴かれると、容易に答えることができる。

五嶋みどりと、ユリア・フィッシャーと、そしてアリーナ・イブラギモヴァである。

この3人の「完璧」なことといったら、本当にもう信じられないくらい。

もちろん、もっと違った味わいをもつヴァイオリニストは別にいるし、そうした演奏のほうが好きという人もたくさんいるだろう。

3人ともわりあいにすっきりとした音楽づくりのため、もっと濃厚な演奏が好きという人も多いと思う。

しかし、少なくとも音の完璧さという点で、この3人にかなう演奏を私は聴いたことがない。

これは、同時代に限った話ではなく、並み居る往年の巨匠たちの録音と比べても、そうである。

彼らに次いで好きなヴァイオリニストとしては、イザベル・ファウスト、セルゲイ・ハチャトゥリアン、フリーデリケ・シュタルクロフらがいるけれど、やはり五嶋みどり、フィッシャー、イブラギモヴァの3人はひときわ抜きんでている。

ただ、この完璧な3人の中でも個性が少しずつ違っていて、フィッシャーは他の2人より少しふくよかな音を出し、表現も伸びやかで、「ドイツ風」あるいは「西欧風」の味わいがあると思う。

それに対し、イブラギモヴァは、本当に極限まで神経の張りつめた、なまなかなところの全くない、「求心的」な演奏をする。

演奏様式としては五嶋みどりよりもさらにすっきりとした現代風のものだし、また五嶋みどりにはないヨーロッパ的な「明るさ」も持ち合わせているけれど、その音楽性の根底のところで、五嶋みどりと共通したものがある気がする。

「音楽の核心を突く」ことへの、飽くなき探求心、とでもいったらいいだろうか。

その意味で、イブラギモヴァこそは、五嶋みどりの真の後継者たる、世界一のヴァイオリニストだと私は思う。

 

 

そんなイブラギモヴァが、今回の来日リサイタルで弾いてくれるのは、モーツァルトのソナタ第35番、シューベルトの幻想曲、そしてベートーヴェンの「クロイツェル」。

昨年来日時のバルトーク無伴奏ソナタもとても良かったし、「こんなに良い曲だったなんて!」と気づかされたのだったが、今回はいずれも王道の有名曲である。

かつ、3曲とも彼女自身による決定的な名録音があり、名演になることが火を見るよりも明らかである。

これは、絶対に聴き逃すわけにはいかない。

大変楽しみにして、コンサートに出かけた。

 

 

本当に、最高の演奏会だった。

完璧。

まさに完璧の一言である。

ライヴ一発なのに、アラが全くと言っていいほどない。

人間業とは思えない。

聴いていて身震いしてしまうほど。

 

 

最初のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第35番は、まるでベートーヴェンの「クロイツェル」の先駆のような激しい曲で、上記のように

 

●イブラギモヴァ(Vn) ティベルギアン(Pf) 2014年9月29日~10月1日セッション盤(CD

 

という彼ら自身の素晴らしい録音があるが、生で聴くとよりいっそうすごさが分かる。

透き通った水面のような、ぴんと張り詰めた朝の空気のような、そんな音だった。

 

 

次のシューベルトの幻想曲は、私は

 

●フィッシャー(Vn) ヘルムヘン(Pf) 2009年1月3-5日、7月3-5日セッション盤(NMLApple Music

●イブラギモヴァ(Vn) ティベルギアン(Pf) 2012年7月27-29日、8月3-4日セッション盤(CD

 

が好きで、くつろいだ雰囲気のある前者と、どこまでも繊細な後者と、甲乙つけがたい名盤である。

それにしても、今回の実演は素晴らしかった!

冒頭のヴァイオリンの長い音からして、ノン・ヴィブラートによる繊細な弱音から、慎重にヴィブラートをかけ始め、その後どのように膨らませていくか、全てが計算しつくされている。

曲の清澄さを失わないようにするために、ヴィブラートなどどのようにコントロールしたらいいのかを、しっかりと心得ている。

そうかと思うと、速いパッセージの最中であっても、要所要所できわめて細やかに小さなヴィブラートを品良く入れ込んで、細部まで表情付けを怠らない。

変奏楽章では、表現の引き出しの多さに驚かされる。

同じようなスタッカート、ピッチカートでも、いくつもの種類を使い分ける。

そして、曲調に応じて激しい身振りのピッチカートになっても、音程も音色も全く粗くならない。

最後、終楽章のコーダでは、「これはパガニーニのカプリースか?」とでも言いたくなるような難しそうなアルペッジョでも難なく弾きこなしたかと思えば、繊細きわまりないトレモロを聴かせてくれた。

 

 

休憩を挟んで、いよいよベートーヴェンの「クロイツェル」。

この曲はもう、

 

●イブラギモヴァ(Vn) ティベルギアン(Pf) 2010年 5月25日ロンドンライヴ盤(NMLApple Music

 

がとにかく決定的な名盤で、他を寄せ付けないすごさである。

クーレンカンプ/ケンプ盤や、ファウスト/メルニコフ盤も好きだが、ここでのイブラギモヴァは抜群にすごい。

そうなればこそ、今回の実演で同様に感動できるかどうか、少し緊張しながら聴いたのだが、全くの杞憂だった。

録音で聴くよりも、さらに何倍もすさまじい演奏。

彼女の演奏は、洗練を尽くしているにもかかわらず、なおかつ彼女自身ピリオド奏法に大きく影響を受けているにもかかわらず、最近のピリオド奏法にありがちな「どこか冷静な大人のベートーヴェン」にならず、大真面目に悲愴がってくれているのが、とても良い。

真っ向勝負のベートーヴェン。

手に汗握る白熱の演奏であり、これでこそベートーヴェン、これでこそ「クロイツェル」である。

しかも、どれだけ情熱的な強音を鳴らしていても、彼女の音は常に厳格にコントロールされ、デュナーミクの配分は鮮やかで、音程もまさに「針の穴を通すよう」であり、完璧としか言いようがない。

イブラギモヴァの「クロイツェル」を知る前は、上記のファウスト盤を愛聴していたし、全く不満は感じていなかった。

しかし、イブラギモヴァを知ってしまった後では、ファウストの音の質はこの曲にはやや軽すぎるように感じてしまう。

かつ、ファウストは強音の際に、わずかに音がべちゃっと拡散してしまうことがある(ほんのわずかだが)。

それに対し、イブラギモヴァは最強音でも全く違えることなく、確信をもって押さえるべき音をピンポイントで押さえ、きわめてヴィヴィッドな音を生み出す。

そのピンポイントの音に込められたエネルギーたるや、驚くべきものである。

それは実演でも全くゆるぎない確かさ、完璧さだった。

しかも、幸運なことに前から2列目の真ん中あたりという最高の席に当たっていたため、あまりのパワー、あまりのオーラに、聴いていて失神するかと思うほどだった。

激しい第1楽章とは対照的に静謐な第2楽章でも、何気ないスタッカート、細かい走句、繊細な高音部の旋律、こういった一つ一つの表現の、全てが考え尽くされ、練られ尽されていた。

そして第3楽章では、実に躍動感にあふれた、それも軽やかというよりは、むしろ火花の飛び散るような類のそれであり、まさしく「ベートーヴェンの終楽章」だった。

歓喜を高らかに歌い上げるような感動的なコーダでは、もう演奏が終わってしまうことを思って、むしろ哀しみさえ覚えた。

 

 

イブラギモヴァのあまりの素晴らしさのために、ティベルギアンはどうしても陰に隠れがちではあったが、それはヴァイオリンばかり前に出た演奏だったということでは決してない。

音楽的に全く対等に渡り合っていたし、テクニック的にも相当なものがあった。

ティベルギアンにはある種の「華」はないにしても、こけおどしでない確かな実力があるし、その音楽からは誠実さが感じられて、これはこれでとても良いと思う。

イブラギモヴァという世界最高のヴァイオリニストのパートナーとして、これ以上の逸材を求めることなど、どうしてできようか。

 

 

それにしても、信じられないような演奏会だった。

日本の京都の片隅の、ひっそりとした小さなホールで、人間の能力の極限のような、世界一の名演が繰り広げられたのである。

奇跡を目の当たりにしたような、夢うつつの状態で帰途についたのだった。

 

 

 

 


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