読売日本交響楽団
第586回定期演奏会
【日時】
2019年3月14日(木) 開演 19:00
【会場】
サントリーホール (東京)
【演奏】
指揮:シルヴァン・カンブルラン
ヴァルデマル:ロバート・ディーン・スミス (テノール)
トーヴェ:レイチェル・ニコルズ (ソプラノ)
森鳩:クラウディア・マーンケ (メゾ・ソプラノ)
農夫・語り:ディートリヒ・ヘンシェル (バリトン)
道化師クラウス:ユルゲン・ザッヒャー (テノール)
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤 洋史)
管弦楽:読売日本交響楽団
(コンサートマスター:小森谷巧)
【プログラム】
シェーンベルク:グレの歌
読響の定期演奏会を聴きに行った。
名指揮者シルヴァン・カンブルランの、読響の常任指揮者として振る最後の定期演奏会である(特別演奏会とマチネーシリーズがまだ残ってはいるけれど)。
曲目は、シェーンベルク作曲「グレの歌」。
9年にもわたったカンブルラン時代の読響の、最後の定期演奏会にふさわしい大作である。
「グレの歌」で私の好きな録音は、
●ブーレーズ指揮BBC響 1974年セッション盤(Apple Music/CD)
●アバド指揮ウィーン・フィル 1992年5月ウィーンライヴ盤(NML/Apple Music/CD)
●ギーレン指揮SWR響 2006年10月28~31日セッション盤(NML/Apple Music/CD)
●ノイホルト指揮ビルバオ交響楽団 2012年3月8~9日ビルバオライヴ盤(Apple Music/CD)
あたりである。
今回のカンブルラン&読響の演奏も、これらの録音に劣らぬ名演だった。
冒頭、管楽器の様々なリズムの絡み合いが、きわめて洗練されているというよりはやや手探りな感じがあったけれど、じきにこなれてきたのか、音楽の流れが滑らかになっていった。
カンブルランの指揮はいつもながら明晰で、この何百人という巨大な楽器編成の曲において、その音量の大きさに埋もれさせることなく、各パートをしっかりと浮かび上がらせる。
それでいて、頭でっかちな演奏ではなく、音楽の運びにどことなく艶があるし、またここぞというところでの迫力も相当なもの。
第1部終盤(森鳩の歌)から第2部(ヴァルデマル王の嘆きの歌)にかけての部分、また第3部の亡霊たちの合唱、そして第3部終盤のシュプレッヒシュティンメと太陽賛歌、こういったところでの劇的な表現が印象的だった。
歌手も総じてなかなかのレベルだった。
ヴァルデマル役のロバート・ディーン・スミスは、上記ギーレン盤でも同役を歌っている当たり役。
ギーレン盤から13年経過しているからか、声量としては頼りなかったけれど(オーケストレーションが分厚いので仕方ない面もあるか)、それでも弱音部などはさすがの表現力が聴かれた。
トーヴェ役のレイチェル・ニコルズは、ヴィブラートの幅が広めで音程にあまり締まりがなかったけれど、声量はしっかりしていたし、それでいて(ヴァーグナー歌手にありがちな)叫ぶような声になっていないのが良かった。
森鳩役のマーンケ、農夫・語り手役のヘンシェル、道化師役のザッヒャーも、それぞれの役をしっかりこなしていた。
新国合唱団も、いつもどおりの力強い合唱を聴かせてくれた。
それにしても「グレの歌」、面白い曲である。
シェーンベルクが20歳代のときに書いた作品(完成は30歳代)。
ヴァーグナー的でありながらブラームス的でもあり、マーラー的でありながらR.シュトラウス的でもある。
なおかつ、これらの諸先輩方とはまた違った、シェーンベルク特有の要素もある。
ベルクのようなセンスあふれる表現主義とはまた違った、少し頭でっかちで地味で垢抜けない、それでもどこか惹かれてしまう独特の魅力が、このやたら巨大でロマン的な若書きの曲に、すでにある。
シェーンベルクはこの後、無調音楽に進み、さらには十二音音楽に突入する。
彼のこの一連の変化は、時代の流れとはいえ、ベルクやヴェーベルンにおける変化よりもずっと大きい気がして、私としては何とも不思議な感覚を覚えるのだけれど、上述のような「独特さ」が、各期を通してシェーンベルクを読み解く上での一つの鍵となるのかもしれない、とは考えている。
(画像はこちらのページからお借りしました)
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