(サロメの魅力) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

今月末にザルツブルク音楽祭に行きR.シュトラウスのオペラ「サロメ」を観る予定にしている友人から、「サロメ」についてレクチャーしてくれと頼まれた。

「サロメ」は長くておどろおどろしくて、良さがよく分からない、とのことだった。

そこで先日、CDをかけながら約2時間にわたって、「サロメ」の魅力につき、思う存分語らせてもらった。

その内容を短くまとめると、次のようになる(全然短くない!というツッコミはご容赦いただけるとありがたい)。

 

 

・単純な二部形式から派生した、古典派のソナタ形式。これを拡張して巨大化し、音楽に起承転結をつけて一つの大きなドラマのような交響曲を書いたのが、ベートーヴェン。また、これをさらに拡張して交響曲という枠組みを取り壊し、巨大なドラマそのもの(いわゆる楽劇)にしてしまったのが、ヴァーグナー。

R.シュトラウスもヴァーグナーのやり方を踏襲して、一幕物ながら2時間もかかる、スケールの大きなオペラを創作した(ヴァーグナーの「ラインの黄金」のように)。

 

・古典派のソナタ形式では本来、第2主題は第1主題から派生したものであり、2つの主題はよく似ていた。それに対し、ベートーヴェンは勇壮な第1主題、抒情的な第2主題、と対照的な性格を与えていった。また、ヴァーグナーやリストはこうした個々の主題のキャラクター性をさらに推し進めて、「ヴァルハラの主題」「指環の主題」「ファウストの主題」「グレートヒェンの主題」といったように、各々の主題に人物や事物そのものを充てていった。

R.シュトラウスもこのやり方を踏襲して、例えばサロメの主題とヨカナーンの主題を様々な意味で対比させ、妖艶な前者と神聖な後者との性格的な差異を際立たせた(半音階的 vs 全音階的、短調 vs 長調、#4つ vs #なし、調的に不安定 vs 安定、等々)。

 

・古典派のソナタ形式は本来、比較的コンパクトで形式感が明快だった。ベートーヴェンは、これを大きく拡張してしまったが故に、まとまりのない冗長な音楽になってしまうのを防ぐため、限定されたいくつかの動機を全曲にわたって発展・展開させることで長大な交響曲の緊密性を確保した。また、ヴァーグナーやリストはこうした動機的展開に加え、動機的「変容」ともいうべき手法で、同じ動機の素材を用いながら全く別の主題を作り出し、威容を誇るヴァルハラ城が実は指環の呪いにとらわれているとか、ファウストとグレートヒェンという一見全く違った2人が実は表裏一体だとかいった、テクスト上の連関を細かく音楽的に表現し、曲全体の緊密性を確保した。

R.シュトラウスもこのやり方を踏襲して、いくつもの動機を縦横無尽に張り巡らせつつ、例えばサロメの「欲望の主題」をヨカナーンの「神聖の主題」の反行形にすることで、これらが全く次元の違うもののようでいて実は裏表の関係にあることを暗示したり、あるいはサロメの「恋心の主題」が「欲望の主題」になり「災いの主題」と相まって「復讐の主題」に変わっていく様を、動機の和声的変化によって巧妙に表現したりした。

 

・R.シュトラウス特有の、エンハーモニック転調等を用いた精妙で濃厚な和声進行が随所にみられ、この物語のもつ退廃的な空気、近代的な不安感を高めている。長調と短調との頻回な交替や、強烈な不協和音も、強いインパクトがある。また特に、曲の後半に入る際に「復讐の動機」とともに初めて登場する全音音階は、曲の禍々しい雰囲気を否応なしに高め、血の匂いすら感じられるかのようで印象深い。このような全音音階の使い方は、ドビュッシーやストラヴィンスキーのエスプリの利いた全音音階とは全く違った効果を持つ。

 

・「銀の鏡に移る白い薔薇のよう」「銀の花のように冷たく清い月」といったワイルド得意の詩的な表現に対し、R.シュトラウスはとりわけ美しい和声や装飾的音型を充てた。

 

 

といったようなことを、CDを聴いては喋り、喋っては聴き、といった調子で長々と語ってしまった。

喋っていて思ったのだが、私は自分の好きな音楽がなぜ素晴らしいかを考えたり話したりするのが、たまらなく好きなようである。

友人も「サロメがこんなに精密に作られたすごい作品だったなんて!」と言ってくれて、何だか嬉しかった。

ただ、今回私が喋ったことは全て独断と偏見に基づく解釈であり、きちんとした文献に基づいたものではない。

間違っていることも多々あると思われる。

ヴァーグナーやR.シュトラウスの各作品について、その歌詞の内容や世界観だけでなく、音楽的な点においても微に入り細に入り詳細に分析した文献が、どこかにないものだろうか?

 

 


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