「ピアノ三重奏」
― シューマン&ブラームス ―
【日時】
2018年4月10日(火) 開演 20:00 (開場 19:30)
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
ヴァイオリン:上里はな子
チェロ:向井航
ピアノ:松本和将
【プログラム】
シューマン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品63
ブラームス:ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調 作品101
カフェ・モンタージュのコンサートを聴きに行った。
松本和将、上里はな子、向井航によるピアノ三重奏。
彼らは、シューマンとブラームスのピアノ三重奏曲全曲をシリーズで演奏している。
1年前にその第1回のシューマンの第3番とブラームスの第1番を聴き、大きな感銘を受けた(そのときの記事はこちら)。
第2回はシューマンとブラームスそれぞれの第2番だったのだが、これは聴きに行けなかった。
今回はシリーズ第3回、最後のもので、シューマンの第1番とブラームスの第3番である。
演奏は、前回と同様、きわめて「ドイツ風」のものだった。
ずっしりとした、重厚な解釈。
3人とも音楽性が共通していて、違和感がない。
技巧面等の完成度もなかなかのもの。
今ドイツのピアノ・トリオが聴きたければ、彼らが一押しである。
シューマンのピアノ三重奏曲第1番では、私は
●アンスネス(Pf) テツラフ兄妹(Vn, Vc) 2009年9月、2010年5月セッション盤(NML/Apple Music/CD)
あたりの、すっきりしたロマンの感じられる演奏が最も「シューマンらしい」と思っている。
しかし、今回の重いロマンも大変魅力的で、冒頭を聴いた瞬間に「あぁこれぞドイツ!」と感じた。
上述の前回の記事にも書いたけれど、シューマンがもしこれを聴いたら大いに喜ぶのではないだろうか。
ブラームスのピアノ三重奏曲第3番では、私は
●カリクシュタイン(Pf) ラレード(Vn) ロビンソン(Vc) 1985年セッション盤(NML/Apple Music/CD)
あたりが好きで、これも重心の低い、ずしっとした演奏である。
ただ、カリクシュタインらの演奏にはどこか落ち着きがあるのに対し、今回の松本和将らによる演奏にはもっと情熱的な激しさがある。
冒頭からすさまじい迫力であり、圧倒された。
カリクシュタインらと松本和将ら、異なる演奏ではあるけれども、どちらの演奏もブラームスにぴったり合っていて、甲乙つけがたい。
ところで、演奏後に向井航や松本和将によるトークがあったのだが、ブラームスの曲は地図がきっちり整っているのに対し、シューマンの曲は地図のない状態で霧の中を進むようだ、というような言葉があった。
至言だと思う。
上述の、前回の演奏会の記事で私がくどくど書いたシューマンとブラームスの違いが、この言葉に端的に表されている。
また、ピアノ・ソロ曲はシューマンの場合彼の初期に多く、またブラームスの場合彼の初期と晩年に多いため、彼らの中期の室内楽を弾くことはピアニストにとって大変貴重な経験である、というようなことを松本和将が言っていた。
これもその通りだと思う。
特に、ピアノ・ソナタ。
ベートーヴェンにとってきわめて重要だったこのジャンルは、シューマンとブラームスにとっては、(初期を除いて)そうなり得なかった。
これは、おそらく音楽の書法の複雑化が急速に進み、ピアノ奏法の進化がそれに追いつかなかったからではないだろうか。
これを裏付けるように、シューマンもブラームスも、ピアノ・ソナタよりも声部が多く複雑に書きやすいヴァイオリン・ソナタを書くようになっていった(ブラームスの場合はチェロ・ソナタも)。
より後年の後期ロマン派の時代になると、ロシア人作曲家たち(スクリャービン、ラフマニノフ、プロコフィエフ)によりピアノ奏法がさらに発達して音楽に追いつき、再びピアノ・ソナタが書かれることとなる。
ただ、この頃ドイツではもう作曲家とピアニストは分業するようになり、作曲家たちは交響曲や交響詩、歌曲集やオペラに目を向け、ドイツでピアノ・ソナタが盛んに書かれる時代は二度と戻ってはこなかった。
ともあれ、交響曲などブラームス中期の傑作が大好きな松本和将は、普段ブラームス中期の曲を弾く機会がピアノにはあまりないため、他の楽器を羨ましく思っていたよう。
ただ、今回彼は言わなかったけれど、ブラームス中期には、かの傑作、ピアノ協奏曲第2番がある。
彼がこれを弾いた場合、バックハウスのようなとびきりの名演になるものと私はひそかに妄想している。
いつかぜひ聴いてみたいものである。
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