読売日本交響楽団 第19回大阪定期 テミルカーノフ ドヴォルザーク 交響曲第9番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

読売日本交響楽団

第19回大阪定期演奏会

 

【日時】

2018年2月21日(水) 開演 19:00

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】
指揮:ユーリ・テミルカーノフ
ヴァイオリン:レティシア・モレノ *

管弦楽:読売日本交響楽団

(コンサートマスター:長原幸太)

 

【プログラム】

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」 序曲
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63 *
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界から」

 

※アンコール(ソリスト)*

ファリャ/コハンスキ:スペイン民謡組曲 より 第2曲 「ナナ」

 

※アンコール(オーケストラ)

ブラームス:ハンガリー舞曲 第1番 ト短調

 

 

 

 

 

読響の大阪定期を聴きに行った。

指揮は、著名なロシア人指揮者、テミルカーノフ。

先日の読響マチネーでのルガンスキーとの共演も聴いた(そのときの記事はこちら)。

今回もそのときと同様の、ロシア風の華やかな演奏(平たく言うと「爆演」ということになるか)を堪能できた。

 

 

最初は、グリンカ作曲の「ルスランとリュドミラ」序曲。

この曲は、ムラヴィンスキーのような超特急のものから、クナッパーツブッシュのようなやたら遅いものまで、個性的な演奏が多いことで有名である。

今回のテミルカーノフの演奏は、ムラヴィンスキーほどではないにしてもそれに近い、なかなかの高速テンポによる演奏だった。

低弦による第2主題も含め、ぶわーっと広がるロシア風の勢いが楽しめた。

 

 

次は、プロコフィエフ作曲のヴァイオリン協奏曲第2番。

この曲の演奏の中では、私は

 

●五嶋みどり(Vn) メータ指揮ミラノ・スカラ座管 1993 or 1994年ミラノライヴ(動画

 

が好きで、若き五嶋みどりのカミソリのような鋭さ、痛々しいまでの完璧さが、プロコフィエフ特有の尖ったアイロニーを表現しつくしているように思われる。

それに比べると、今回のレティシア・モレノの演奏は、ベースの音の質こそ五嶋みどりのような細身のすっきりした音で良かったけれど、すっきりしている分、そうでない演奏よりも、音程など危うい箇所が目立ってしまうきらいがあった。

技巧が弱いわけでは決してなく、比較的安定していたが(第3楽章などなかなか見事だった)、それでも五嶋みどりに比べるとやはり完成度は見劣りしてしまう。

それに、モレノはゆったりした部分になるとヴィブラートを大きめにかける癖があり、メロディが高まっていく部分ではヴィブラートもよりいっそう情熱的に大きくなる、といった調子だった。

「すっきり」と「濃厚」の振れ幅が大きくて、やや違和感を覚えてしまった。

ただ、彼女はマドリード生まれの、スペインのヴァイオリニストとのこと。

これがスペインのやり方と思えば、そんなものかという気もしてくる。

それに、このプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番は、奇しくもマドリードで初演された曲である。

そう思いながら聴くと、それなりに面白く聴けた。

そんな彼女の「スペイン魂」は、アンコールのファリャにおいてよりいっそうしっくりと馴染んでいた。

やはり、ネイティブというのは強いのかもしれない。

 

 

後半は、ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」。

この曲で私の好きな録音は

 

●ターリヒ指揮チェコ・フィル 1954年9月28~30日セッション盤(NMLApple MusicCD

●西本智実 指揮 ブダペスト・フィル 2008年3月29~31日セッション盤(CD

 

あたりである。

ターリヒ盤は、チェコらしい穏やかで自然体の、この曲本来の美しさを引き出した演奏。

西本智実盤は、このドヴォルザーク最後の交響曲を、まるでベートーヴェンの「第九」のように苦悩と歓喜の一大物語として呈示した、重厚で壮大な演奏。

では、今回のテミルカーノフは、どうだったか。

上記2盤ともまた違った、まさに「ロシア人指揮者によるドヴォルザーク」だった。

どの楽章もかなり速めのテンポ(彼自身の録音よりもさらに速め)。

ムラヴィンスキーのチャイコフスキーに代表されるような、ロシア人指揮者たち特有の「一気呵成」の演奏である。

勢いよく進む音楽の中で、弦はわっと華やいだ音を出し、金管は「パッパカパー!」と強くファンファーレを吹き鳴らし、そしてティンパニはドーンと威勢よく打撃する。

ただ、同じ「威勢のいい」音楽でも、きわめて「厳しい」指揮をしたムラヴィンスキーとは違って、テミルカーノフはもっと自由な音楽づくりをする。

例えば、第1楽章の第3主題(というべきかコデッタ主題というべきか)において、彼は「ドードラソー、ドーミソッソッ * ソー」(階名表記)というように、「*」のところに大きな「タメ」を入れる。

やりたい放題といった感じの、濃ゆい表現である。

また、彼は第1楽章の展開部から再現部に移るところや、第4楽章の短い序奏(映画「ジョーズ」のような)から主要主題に移るところなど、ある部分から次の部分への移行において、テンポを急に速めることがある。

「推移の達人」の逆をいくような、こういった突然の大きな「タメ」やテンポ変化は、昨年聴いたフェドセーエフのチャイコフスキー第5番でもそうだったように(そのときの記事はこちら)、ロシア人指揮者の演奏においてしばしば聴かれるように思う。

こういった彼らのやり方を、普段私は必ずしも好まなくて、たとえチャイコフスキーのようなロシア人作曲家の曲であっても、華麗な「ロシア人指揮者のチャイコフスキー」よりは、もっと重厚でシリアスでシンフォニックな、フルトヴェングラーや西本智実の演奏を選んで聴くことのほうが多い。

しかし、ロシア人指揮者の華麗な「爆演」、ときどき生で聴くととても面白くて、心から笑うことができ、胸がすく思いがする。

そんなロシア独特の音楽を、グリンカとプロコフィエフとチャイコフスキー、ではなく敢えてドヴォルザークで味わうことのできた、大変楽しい演奏会だった。

 

 


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