大阪フィルハーモニー交響楽団
第508回定期演奏会
【日時】
2017年5月13日(土) 15:00 開演 (14:00 開場)
【会場】
フェスティバルホール (大阪)
【演奏】
指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
(コンサートマスター:田野倉雅秋)
【プログラム】
ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
ウェーバー:交響曲第1番 ハ長調 作品19
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
大フィルの定期演奏会を聴きに行った。
今回の指揮者は、フェドセーエフ。
モスクワ放送交響楽団の音楽監督として著名な彼だが、私は生演奏でも録音でも聴いたことがなかった。
前半のプログラムはウェーバーの2曲で、「オベロン」序曲と、交響曲第1番。
「オベロン」序曲は、むかしむかし、フルトヴェングラーの録音ばかり聴いていた頃によく聴いていた曲で、とても懐かしかった。
交響曲第1番は、逆にこれまで数えるほどしか聴いたことがなく、今回聴いても私にとってそれほどピンとくる曲ではなかった。
ただ、フェドセーエフならではの分厚い音楽づくりがよく分かって、面白かった。
弦以外の楽器奏者が10人しかいない(フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ)のに、弦楽器は16型という不釣り合いなほどの大編成で、決して古典派+αではなくもっとロマン派志向の、拡がりのある音楽が聴けた。
後半のプログラムは、チャイコフスキーの交響曲第5番。
この曲は、昨年の西本智実/モンテカルロ・フィルの演奏が忘れがたい名演だった(そのときの記事はこちら)。
あのときの重々しい第1楽章の序奏に比べると、今回のフェドセーエフは、むしろあっさりしたテンポだった。
低音もそれほど強調せず、重厚という感じはあまりなかった。
しかし、音の厚みたるやすごいもので、第1楽章の主部が始まり、第1主題をフォルテ(強音)で確保する箇所に至っては、「これはロシアのオーケストラか」と見まごうほどに分厚く、かつ華麗な音を聴くことができた。
厚みはあるけれども、重々しさを強調したり、深刻ぶったりすることなく、むしろバレー音楽のような華やかさがあって、「これがロシアか、本場のチャイコフスキーなのか」と感銘を受けた。
上記の第1主題確保部が終わり、経過句にさしかかると、フェドセーエフは大きくテンポを落とす。
その後、その経過句のメロディがヴァイオリンから管楽器に受け渡され繰り返される部分(ここではヴァイオリンはピッチカートとなる)になって、彼はテンポを元に戻す。
そのまましばらく進んだのち、第2主題に入る直前になって、彼は再度テンポを大きく落とす。
そのきわめてゆったりとしたテンポで、彼は第2主題を思うままに連綿と歌い上げるのである。
こういったテンポの頻回な変化も、「重々しい」というよりも「華やか」「ロマンティック」という印象が強くなる一因かもしれない。
西本智実の場合は、対照的にテンポの変化はきわめて慎重で、そろりそろりと動かしていく感じであり、また低音をしっかり鳴らしており、重厚でシリアスな印象が大きい。
私は、本来はそういったチャイコフスキーのほうが好きなのだが、よりロシアらしい、本場らしいチャイコフスキーはおそらくフェドセーエフのほうであり、今回それを心ゆくまで堪能できた。
金管の堂々たる咆哮(トランペットもホルンも目立ったミスなく完璧だった)、ティンパニの大きな轟き(かなり迫力があった)、そして弦の分厚い音。
まぎれもないロシアの音が、我らが大フィルから聴くことができるのである!
そんな音を引き出してくるフェドセーエフ、ただ者ではないと思った(ロシアのオーケストラを振らせたら、もっとすごいのかもしれないけれども)。
第2楽章のホルンの甘い音色から、トゥッティによるクライマックスまでの、振幅の大きさ。
第2楽章から第3楽章へはアタッカで間断なくつなげられていたが、その第3楽章の上品なワルツは、やはりさらっとしたテンポなのだけれども、フレーズが大きく膨らまされて、やはり華やいでいた。
第4楽章の序奏は、第1楽章と同じくあっさりしたテンポ。
主部はもしかして、ムラヴィンスキーのテンポでやってくれるか、とも思ったが、そこまで急速ではなかった(ムラヴィンスキーの、あの何物をもなぎ倒して進むソ連の重戦車のような演奏は、最良の解釈とは思わないが、聴きごたえがある)。
それでもやはり西本智実に比べると快速テンポで、サクサクと進んでいく。
第2主題ではアンサンブルがずれそうになったが、フェドセーエフには必死で立て直そうとする気配は全く見られず、手の振りは小さくて、まるで「縦の線は君たちでどうにかしてね」とでも言わんばかりだった(あるいは、手の振りが小さいほうが奏者が集中する?)。
そして華やかな弦や強力な金管・ティンパニをたっぷり堪能したのち、最後の三連符のみ物々しいテンポで奏され、曲は終わりを告げた。
シリアス過ぎない、華麗なチャイコフスキー。
これはこれで大変良かった。
ごてごてしすぎず、あっさりしているけれども、「ロシアらしさ」をしっかりと受け継いだ指揮者、フェドセーエフ。
ロシアのオーケストラでなくても、そのことをしっかりと感じさせてくれる演奏だった。
私は以前、どこからどこまでが指揮者の力で、どこからどこまでがオーケストラの力なのか、判断できなかったのだが、同じオーケストラの演奏を異なる指揮者で色々と聴くことで、最近ようやく少しわかるようになってきた。
これこそ、定期会員の醍醐味かもしれない。
なお、余談だが、終楽章のコーダの直前に長い休止が入るため、絶対誰か拍手するだろうなと思ったら(上記の西本智実の演奏会のときは拍手があった)、ついに誰もしなかった。
今日の観客のレベル、高い!(あるいは、拍手をする隙を与えなかった指揮者の功績?)
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