大阪フィルハーモニー交響楽団 第515回定期 バッティストーニ レスピーギ 「ローマの松」 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団

第515回定期演奏会 

【日時】

2018年2月16日(金) 開演 19:00 (開場 18:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】
指揮:アンドレア・バッティストーニ

管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

(コンサートマスター:崔文洙)

 

【プログラム】
レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」
レスピーギ:交響詩「ローマの松」

 

 

 

 

 

大フィルの定期演奏会を聴きに行った。

若き指揮者アンドレア・バッティストーニの演奏を生で聴くのは、今回が初めて。

ただ、用事が長引いてしまい、残念ながら後半の「ローマの松」しか聴くことができなかった。

 

 

レスピーギ作曲の「ローマの松」。

この曲で私の好きな録音は

 

●トスカニーニ指揮NBC響 1953年3月17日セッション盤(Apple MusicCD

●デ・ワールト指揮サンフランシスコ響 1981年10月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

デ・ワールト盤は、この派手な曲を決して単なる喧噪には終わらせず、各楽器の動きを明瞭に浮かび上がらせ、かつドライで快活な表現を実現した、「ストラヴィンスキー的」な名演である。

1924年に書かれたこの曲は、複調(複数の調性を同時に使用する作曲技法)といい、強烈な色彩感といい、ストラヴィンスキーの影響を強く受けていると思うし、その意味でデ・ワールト盤ほどこの曲の本質を鋭く突いた演奏を私は他に聴いたことがない。

ブーレーズ指揮によるこの曲の録音が存在しないことの渇きを、このデ・ワールト盤はかなりのところまで癒してくれる。

それに対し、トスカニーニ盤はもっと「人間味がある」感じの演奏で、私の思うこの曲のドライなイメージとは少し違う。

けれど、彼特有のほとばしるような活力、それでいてぐしゃっとならない、はきはきした音楽的な「滑舌の良さ」は、他のどの演奏にもない魅力を彼の演奏にもたらしており、私には捨てがたい。

 

 

そして、今回のバッティストーニ。

彼はすでに東京フィルとこの曲を録音しているが(Apple MusicCD)、これは上記2盤ともまた違った、若々しい情熱にあふれた演奏となっている。

現代らしいスリムな音で、かつ細部の音の分離や各楽器の扱いの妙にはそれほど拘泥せず、ただただ音楽をまっすぐ情熱的に盛り上げていく、そんなアプローチである。

そんな彼の特徴は、今回の大フィルとの実演でも基本的には変わりがなかった。

ただ、東京フィル盤よりも表現は濃厚さを増しており、例えば「カタコンバ付近の松」の冒頭の低弦による神秘的な弱音部はより雄弁になっていたし、その後半に出てくる五度の音程による古風な聖歌風のメロディも、最初の一音を長めに取って表現に陰影をつけていた。

デ・ワールト盤に聴かれる、サクサクした乾いた表現とは、全く別物である。

私の中でのこの曲のイメージとは異なるけれど、バッティストーニのやり方もこれはこれでなかなか説得力があった。

そして、彼の「ローマの松」の真骨頂は、何といっても最後の「アッピア街道の松」にある。

ここでは、彼はあまりに情熱的に音楽を煽るので、生み出される大音響は引き締まったものになるというよりは、どちらかというと拡散してしまっていた(平たく言うと「やかましい」響き)。

それでも、大編成のオーケストラによるこの迫力はCDでは決して体験できない類のもので、終結へ向けての高揚は勇壮な古代ローマ軍の大行進を彷彿させ、否応なしに興奮させられた。

こういう、なりふり構わぬ「熱演」も、悪くない。

 

 


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