山本貴志 佐藤卓史 兵庫公演 チャイコフスキー/エコノム 「くるみ割り人形」組曲 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

山本貴志×佐藤卓史 衝撃のデュオ2017

 

【日時】

2017年6月30日(金) 開演 19:00

 

【会場】

兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
 

【演奏】

ピアノ:山本貴志、佐藤卓史

 

【プログラム】

モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)
ショパン:ロンド ハ長調 作品73
グレツキ:トッカータ 作品2
ルトスワフスキ:パガニーニの主題による変奏曲
シューベルト:ロンド イ長調 D951 作品107(連弾)
チャイコフスキー/エコノム:「くるみ割り人形」組曲 作品71a

 

※アンコール

フォーレ:「ドリー」 より 第1曲 「子守歌」(連弾)

アイルランド民謡/佐藤卓史編:「ロンドンデリーの歌」

 

 

 

 

 

山本貴志と佐藤卓史、ダブル「タカシ」のピアノ・デュオ・コンサートを聴きに行った。

とても良かった!

山本貴志は、何でもないようなメロディでも、実にカラフルで表情豊かな音楽にしてしまう。

大変鮮やかで生き生きとした、ロマンティックな演奏で、それでいて音楽がくっきりと明瞭で、べとつかないのが素晴らしい。

対する佐藤卓史は、先日の川島基とのデュオではとてもニュアンス豊かだと感じたのだったが(そのときの記事はこちら)、こうして山本貴志のあまりにも豊かな表情付けと同時に聴くと、むしろおとなしめの演奏に聴こえるから面白い。

うまいたとえではないが、山本貴志の演奏が色彩豊かな印象派の絵画だとすると、佐藤卓史の演奏からは墨絵のような落ち着きが感じられる。

鮮やかな山本貴志の演奏に魅了されつつも、佐藤卓史の弾く対旋律やオブリガートが聴こえてくると、何とも言えない「清涼感」のようなものが感じられて、これまた大変良い(肉料理とサラダの関係といったらいいか? あるいはケーキとコーヒーの関係というべきか?)。

モーツァルト、ショパン、グレツキでは山本貴志が、ルトスワフスキ、シューベルト、チャイコフスキーでは佐藤卓史が第1パートを弾いており、またアンコールではフォーレは山本貴志、「ロンドンデリーの歌」は佐藤卓史が第1パートだった。

第1、第2パートが入れ替わると、演奏全体の雰囲気もがらっと変わって、とても面白かった。

2つの異なる個性の丁々発止、といった印象のスリリングな演奏で、例えばチック・コリアと上原ひろみのデュオ(Apple Music)なんかと比べてもひけを取らないような、息もつかせぬエキサイティングなせめぎ合いが始終聴かれた。

 

それにしても、山本貴志。

モーツァルトのような、果たして彼に合うだろうかと思うような古典的な曲でも、彼ならではの個性を無理なく出した、美しい歌心に溢れた演奏をする。

ショパンやチャイコフスキーあたりは言わずもがな、まさに彼の面目躍如である。

例えばⅣmのようなロマン派特有の和声を、彼ほどうまく活かして鮮やかに音色を変化させる演奏には、なかなかお目にかかれない。

そして、フォーレの「ドリー」の子守歌のような、ただ両手のユニゾンで(ときには単旋律)、きわめてシンプルなメロディを弾くだけ、といった曲。

このシンプルなユニゾンや単旋律を、彼は取り立てて目立つような弾き方はせず、弱音で控えめに奏しているだけなのに、何とも言えないロマン的憧憬に満ちていて、聴き手の心を打たずにおかない。

このように小さな曲であっても、やはり彼ならではの個性が強く刻印されているのである。

私は、佐藤卓史や松本和将のような、自分の個性を前面に出しすぎず、作曲家の「僕」となるような誠実さをもったピアニストも、大好きである。

しかし、聴衆を一瞬にして魔法にかけてしまうかのような、強烈な、確固たる個性をもった、かのホロヴィッツやアルゲリッチに通じるような「スター性」を感じるピアニストとして、日本人では山本貴志、小林愛実、それから畑は違うけれども上記のジャズ・ピアニスト上原ひろみ、彼らはとりわけ強い輝きを放っているような気が私にはするのである。

 

 


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