(ハンス・ツェンダーの編曲物) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。

昨日クラシック音楽好きの友人に会い、ハンス・ツェンダーという現代作曲家の編曲物CDを聴かせてもらった。

一つは、シューベルトの「冬の旅」をツェンダーが管弦楽編曲したもの(CD)。

最初の「おやすみ」からして衝撃を受ける。

ピアノの前奏の音型が各楽器によってぷつぷつと切られながら次々繰り返され、何だかセリエルのようなミニマルのような不思議な雰囲気になっている。

そんな雰囲気のなか始まる歌は、名テノール歌手ブロッホヴィッツによるきわめて端正な美しいもので、何のてらいもなく、管弦楽のハチャメチャ感とのギャップがすごい。

しばらく聴いて少し慣れてきたかなと思ったら、突然音高のないシュプレッヒシュティンメが、いやそうではなく拡声器を使った叫び声が入ってきて、驚かされる。

友人によると、この部分はヒトラーの演説風景のパロディであるとのこと。

「おやすみ」以外にも「最後の希望」や「宿屋」、「幻の太陽」などいくつか聴いて、最後の「辻音楽師」で人間のぬくもりを感じて救われる…。

と思いきやそうはならず、いろんなところから突如聴こえてくる手回しオルガンの不気味な音に悩まされ、最後はリゲティ風のトーンクラスターによって恐ろしい世界へと連れ去られてしまう。

原曲よりも恐ろしく孤独で屈折したこの編曲、混沌とした現代にはより適しているかも!?

 

次に聴かせてもらったのは、シューマンの幻想曲をツェンダーが管弦楽編曲したもの(今気づいたのだが、NMLでも聴けるらしい)。

こちらは第2楽章を聴かせてもらったのだが、先ほどの「冬の旅」よりは明るい世界であり、ほっと一息。

そんな中にも、メロディを決して一つの楽器に延々と奏させることはせず、短い断片にして次々と各楽器に受け渡していくあたりが、「メロディなんて存在しない、あるのは"点"のみだ」と言わんばかりで、何ともセリエル的な要素を感じる。

そんなふうにして聴き進めていくと、中間部が終わって再現部の箇所、何かやたら盛り上がってきたなと思ったら、「ジャーンジャーン」「ダーンダーン」とシンバルやら打楽器やらによるむやみやたらな連打が始まり、まるで打ち上げ花火大会の最後のクライマックスのよう。

友人によると、ツェンダーは決してネタで編曲しているわけではなく、大真面目に拡声器やシンバル連打を書いているのだ、とのこと。

聴いていて思わず大ウケしてしまっていたのだったが、実は笑ってはいけなかった、厳粛な気持ちで聴かねばならない、ということか。

 

なお、この2枚のCDは貸してもらえたので、これからもじっくり聴かせてもらう予定である。

また、友人はこれ以外にも、ツェンダー編曲ではないけれども、リストのピアノ・ソナタの管楽十五重奏編曲版とか、シューベルトの幻想曲(ピアノ連弾曲)の管弦楽編曲版とかのCDを持っていて、これらもオススメらしい。

そちらもいつか借りてみようと思っている。

 

 

 

―追記(2017/05/05)―

 

友人に教えてもらったのだが、このツェンダー版の「冬の旅」を、なんとあの気鋭の指揮者テオドール・クルレンツィスも振っている、というのだ。

動画がYouTubeにアップされている(こちら)。

聴いてみると、これは彼らしく緻密で切れ味の良い名演!

 

 


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