「エレクトラ」 兵庫公演 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

エレクトラ

 

【日時】

2017年4月29日(土・祝) 開演 18:30 (開場 18:00)

 

【会場】

兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

 

【キャスト】

エレクトラ:高畑 充希

オレステス:村上 虹郞

イピゲネイア:中嶋 朋子

アイギストス:横田 栄司

クリュソテミス:仁村 紗和

アガメムノン:麿 赤兒

クリュタイムネストラ:白石 加代子

 

【スタッフ】

演出:鵜山 仁

上演台本:笹部 博司

原作:アイスキュロス・ソポクレス・エウリピデス“ギリシア悲劇より”

 

 

 

 

 

ギリシア悲劇をもとにした演劇「エレクトラ」を観に行った。

ギリシア悲劇は、以前から一度観てみたいと思っていたのだが、なかなかその機会は得られなかった。

今回の公演は、もちろん原作の台本をそのまま使った古典的な上演ではないだろうとは分かっていたが、それはそれで面白いかもしれないと思い、行ってみたのだった。

以下、ネタバレを含むため、この劇をこれから観ようと思っている方はご注意いただきたい。

 

観てみると、なかなか面白かった。

前半がソポクレスの「エレクトラ」から、後半がエウリピデスの「タウリケのイピゲネイア」から題材を得ているのだろうと思う。

登場人物がかなり多く(名前だけ出てくる人も相当数いる)、それぞれ当然ながらギリシア名のため、ギリシア神話に慣れ親しんでいる人や、オペラが好きな人(R.シュトラウスの「エレクトラ」や、グルックの「トーリードのイフィジェニー」)であれば問題ないと思うが、そうでない人には人物の把握がすぐには難しいかもしれない。

 

「エレクトラ」は、私はオペラで親しんだのだったが、あまりに強靭でアクの強いキャラクターであるエレクトラやクリュタイムネストラには、畏怖は覚えるものの親しみは感じにくかった。

しかし、今回の劇では2人ともかなり人間臭く描かれていて、「自分にはこんな事情があるのだ、それを分かってほしい」というようなところがあったため、神話としての格調高さはいくぶん後退しているのだろうけれども、私は初めて彼らに感情移入できた。

復習を遂げるシーンも、原作ではコロス(合唱)による勝利の歌となるし、オペラでもエレクトラの歓喜の叫びで終わるのだが、今回の劇ではここは決して歓喜ではなく、後味の悪さを前面に出したシーンとなっており、より人間的なものとなっている。

殺す云々を抜きにしたら、現代でもよくあるような、避けがたい「家族内のいざこざ」「人間同士の憎しみ合い」を描いた作品のように思えてきた。

そう考えると、大変とっつきやすい。

この、現代にも通じるような普遍性のある家族ドラマは、ヴァーグナーの「ニーベルングの指環」とも共通するのではないか、とも思った(彼もまたギリシア神話から影響を受けたのかもしれない)。

 

全篇の中でも、エレクトラとオレステスの再開シーンや、復習を遂げたエレクトラが死んだ母クリュタイムネストラに対し呼びかけるシーンは、感動的だった。

後半のイピゲネイアに関する話はやや冗長のようにも感じたし、最後はアテナが少し説教臭いとも思ったが、まぁこの作品全体の「テーマ」を伝えるためには仕方ないのだろう。

そのテーマとは、「人間は争いや憎しみにまみれているが、それらは皆最初から存在するのではなく、最初は愛だったものがねじれにねじれてそうなってしまうのである、その愛をどうか思い出して」というようなことだと思う。

「愛」と「寛容」、これがなければ、世界各地で今も続いている争いの連鎖は、決して終わることはないのだろう。

 

役者たちはみな熱演で、特にタイトルロールの高畑充希は、狂気に満ちたエレクトラという役を存分に激しく演じていながら、それでいて人間としての共感を感じさせるという難しい技を、とてもうまくこなしていたのではないだろうか。

弟オレステスへの強い愛情表現や、母クリュタイムネストラへの愛憎ないまぜの複雑な感情表現が、とりわけ印象的だった。

そして、クリュタイムネストラ役の白石加代子も、悪役というよりは人間臭い役として味のある役柄を演じており、良かったように思う。

 

それにしても、作られてから2400年以上もの年月が経過した現代においても通じるような普遍性をもつ、ギリシア悲劇。

さすがと言わざるを得ない。

紀元前5世紀に、古代アテナイのディオニュシア祭で上演されたギリシア悲劇の数々、その舞台は、役者は(1~3人のみの登場だったという)、セリフは、そしてコロス(合唱)の調べは、いったいどのようなものだったのだろうか。

決して解明されることのない永遠の謎だが、それなればこそ思いを馳せずにはいられない魅力が、ギリシア悲劇にはある。

 

 


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