兵庫芸術文化センター管弦楽団
第95回定期演奏会
ジョセフ・ウォルフ & 漆原朝子
高貴なるエルガ―の世界
~オール・エルガー・プログラム~
【日時】
2017年4月22日(土) 開演 15:00
【会場】
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
【演奏】
指揮:ジョセフ・ウォルフ
ヴァイオリン:漆原 朝子
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
(コンサートマスター:豊嶋泰嗣)
【プログラム】
ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 op.61
交響曲 第1番 変イ長調 op.55
PACオーケストラの定期演奏会を聴きに行った。
今回はオール・エルガー・プログラム。
遅れて行ったため、残念ながら前半のヴァイオリン協奏曲は聴けなかった。
漆原啓子の演奏は聴いたことがあるが漆原朝子の演奏は聴いたことがなく、今回ソリスト・アンコールもなかったため、聴けるのはまたの機会までお預けになってしまった。
後半のメイン・プログラムは、エルガーの交響曲第1番。
第1番とはいっても若書きではなく、50歳になって満を持して書かれた曲である。
最初のモットー主題が全曲にわたって至るところに登場する、いわゆる循環形式で書かれている。
このモットー主題は、ヴァーグナーの「パルジファル」の冒頭主題を少し思わせるような、しかしパルジファルほどには陶酔的・瞑想的でなく、どこか少し英国紳士の冷静さのようなものを持ち合わせたような、独特の性質を有している。
また、この交響曲はそれなりに大編成で書かれており(ブルックナーの交響曲第5番やブラームスの交響曲第2番よりもやや大きい編成。本日の演奏では三管編成、14型)、巨大な効果が期待できるにもかかわらず、この曲からはなりふり構わぬ咆哮や絶叫はあまり聴こえてこない。
もちろんフォルテ(強音)の箇所も少なくないのだが、全編どことなく冷静で品があり、落ち着いた印象を受ける曲である。
むしろ、第3楽章を中心として全曲ところどころに配された美しい旋律の数々が、エルガーならではの細やかな情感をよく表していて強く印象に残る。
とはいえ、メロディが美しいだけの曲では決してなく、第3楽章の美しい主題が実は第2楽章冒頭の急速なパッセージを引き延ばしたものであったり、またこのパッセージには前述のモットー主題の音型が使われていたりと、いわゆる「動機労作」がきちんと行われている。
こういった点も、初演した名指揮者ハンス・リヒターが「当代最高の交響曲」と評したゆえんの一つなのだろう。
そんなエルガーの交響曲第1番を今回指揮するのは、ジョセフ・ウォルフ。
エルガーと同郷の、英国の指揮者である。
私は、この曲をそんなに頻繁には聴いていないけれども、好きな演奏はともし聞かれたならば、まさに彼の父であるコリン・デイヴィスが、ロンドン交響楽団を振った盤(NML/Apple Music)を第一に挙げるだろう。
デイヴィスの演奏と同様、ウォルフの演奏も、奇を衒うことのない素直な解釈だった。
父ほどの繊細さや洗練はないけれども、メロディの歌わせ方はよりふくよかで膨らみがあり、なかなか味わいのある演奏だったと思う。
すっきりと洗練されたコリン・デイヴィス盤と、分厚く豊潤なショルティ/ロンドン・フィル盤(NML/Apple Music)の、中間くらいの演奏だったといえるかもしれない。
オーケストラのメンバーも、よく健闘していたように思う。
弦も管も、いつも通りさわやかな美演を聴かせてくれた。
特に、コンマス(豊嶋泰嗣)、首席チェロ奏者(サミュエル・エリクソン? フィリップ・バーグマン?)、首席クラリネット奏者(ヘルヴァシオ・タラゴナ・ヴァリ)は、活躍の機会が多かった。
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