「F.ショパン」 ― 第二夜 バラード全4曲
【日時】
2017年3月11日(土) 20:00 開演(19:30 開場)
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
ピアノ: 佐藤卓史
【プログラム】
ショパン:
バラード 第1番 ト短調 作品23
バラード 第2番 ヘ長調 作品38
バラード 第3番 変イ長調 作品47
バラード 第4番 ヘ短調 作品52
今日は、佐藤卓史の演奏するショパンのバラード全曲演奏会を聴きに行った(昨日はスケルツォ全曲演奏会だったようである)。
カフェ・モンタージュの演奏会では、いつも最初にマスターによる短い曲紹介があるのだが、これがクラシック音楽愛好家がつい陥りやすい面倒なうんちくとは無縁の、嫌みのない明快で分かりやすい説明で、いつも大変勉強になる。
今回もその曲紹介があったのだが、それによると、マスターと佐藤卓史はショパンについて、次のようなことをディスカッションした、というのだ。
『佐藤卓史は、他のピアニストたちと同じく、これまでショパンを散々弾いてきたし、それで評価されたり、されなかったりしてきた。
ピアニストは皆おそらくそうであり、そういった評価の最たるものがショパンコンクールである。
そこでは、数々のピアニストたちが比べられ、評価され、点数をつけられて、「こんな演奏はショパンじゃない」などと言われたりしながら、結局「ショパンコンクールで優勝できなかった人」という烙印を押されたピアニストが数多くできあがる。
しかし、ショパンを弾く、ということは、果たしてそういうことなのだろうか、それでいいのだろうか。
例えばこのバラードは、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチの詩に基づいて書かれているが、かといって後年のR.シュトラウスのような分かりやすい標題音楽ではなく、詩に「霊感」を得て厳しく構成された絶対音楽である。
シューマンが「パピヨン」を作曲した際、ジャン・パウルの長編小説『生意気盛り』(未完)の「仮面舞踏会」の情景に基づいて作曲したと発表したところ、あらゆる批評家が「この箇所は何々のシーン」と執拗に詮索しだしたが、それを聞いたシューマンは「そのような単純な情景描写ではない、この作品を読んだときの霊感から着想を得て書いたのだ」と激怒したというが、それと同じような「厳しさ」がショパンのバラードにもある。
また、ドビュッシーがショパンの楽譜を編纂した際、「ショパンはヴァーグナーに多大なる影響を与えた、そのことを序文で的確に指摘した楽譜出版社であるブライトコプフ社、これを私は全面的に信じて採用する」と言ったらしいが、普段ほとんど無視されているショパンの後世の作曲家への影響も、実は多大なるものがある。
そういったショパンの側面を見据え、腰を据えて演奏するということが、ショパン演奏が氾濫しショパンが軽く扱われている昨今、大事なのではないだろうか。
ショパンコンクールから、ショパンを取り戻そう!』
このようなことを、もっと柔らかい口調で、また笑いをたくさん交えて話してくれた。
過去のブログ記事に何度も書いてきたように、コンクールをある程度高く評価している私としては、異論もある。
しかし、クラシック音楽史において、ショパンという作曲家がどれだけ重要な位置を占めているか、そしてそれにもかかわらず、こんにちショパンがどれだけ軽んじられているか(しばしば「ムード音楽」のように扱われる)、ということについては、全く同感である。
ショパンは、バッハやモーツァルトといった古典作品を愛し、またカルクブレンナーによる古典的なピアノ演奏を愛した。
そういった古典的なところから出発し、彼ならではのロマンティシズムを付け加えていったのだ。
甘っちょろいムード音楽などでは、決してない。
そして、ショパンをショパンたらしめる特徴というのは、あの多彩な和声進行(特に減七の和音、掛留音・倚音、エンハーモニックの効果的な使用、また頻繁な短調への陰り)と、巨視的なドラマトゥルギー(曲の起承転結の付け方、クライマックスへの持って行き方)、このあたりにあると私は考えている(他にも色々あるが)。
こういった特徴は(いつか詳しく考察してみたいが、今回はしないでおく)、ある意味で同世代の作曲家のメンデルスゾーン、シューマン、リストら以上に優れていると思うし、後年のヴァーグナーやブラームスに影響を与えたとしても何ら不思議はないと思う。
前置きが、長くなった。
佐藤卓史によるショパンのバラードは、一言でいうと、辛口のワインのような演奏だった。
甘ったるさのない演奏である。
バラード第1番は、ト短調の曲なのに、いきなり変イ長調を思わせるアルペッジョ(分散和音)で開始されるという、冒頭からショパンならではの和声進行の妙が発揮された序奏を持っている。
この部分において、佐藤卓史は最初の休符までずっとペダルを離さず、響きを保ったままにしていた。
アルペッジョといえども、和音を構成する音以外の音も含まれているため、当然響きはいくぶん濁ったものとなる。
しかし、これはこれで幻想的な、独特の響きが生まれており、良いと思った。
そして、ここの部分は、確か楽譜にもペダルをずっと踏みっぱなしにするよう指定されていたように思う。
つまり、「楽譜に忠実に」という佐藤卓史の「厳しさ」の表れなのではないだろうか。
なお、このカフェ・モンタージュのピアノは古いスタインウェイで、鄙びた音色がするため、ショパンの時代のピアノにやや近いところのあるこの音色が、この部分のペダルの響きをより自然なものにしていた、という面もあるかもしれない。
佐藤卓史の、ショパン。
その後も、楽譜に忠実に、という姿勢は一貫していた。
テンポが、かなり一定している。
もちろん、ロマン派ならではのルバート(テンポの揺らし)もある。
しかし、ルバートをかけるところとかけないところのメリハリが、はっきりしているのである。
いつも聴き慣れたメロディたちが、このようにイン・テンポ(一定の不変の速度)で奏されると、とても新鮮な印象を受ける。
第1番の中間あたりの軽やかな部分や、同じく第1番のコーダ(結尾部)など、イン・テンポで弾くとこうなるのか、と目から(耳から?)鱗だった。
普段、気づかぬうちにいかにルバートをかけることに私たちが慣れているか、ということに気づかされる。
ぱっと聴いたところでは、そっけなく感じることもある。
しかしよく聴くと、仄かなロマンティシズムがしっかりと湛えられていて、まるで往年の巨匠バックハウスのような「辛口の味わい」がある(バックハウスの弾き方によく似ているというわけではないが、味わいのタイプは共通している)。
バッハやモーツァルト、ベートーヴェン、こういった偉大なる先輩たちの業績に学び、そこから一歩一歩着実に歩みを進めていった、そういったショパンの一面が浮き彫りにされた演奏である。
私の個人的な好みとしては、このような演奏はやや堅苦しい感じもするし、もっと自由な魂の飛翔や、満たされぬ何物かへの憧憬のようなものも欲しいところである。
しかし、じっくりと解釈され練り上げられたこの演奏は、こんにち氾濫したショパン演奏に一石を投ずるものとしては、十分なものであるように感じた。
このような佐藤卓史の演奏が最も成功していたのは、第3番であるように感じた。
この曲において、彼はペダルをかなり薄めにして演奏する。
そして、内声部や低音部に配された主要主題や対旋律を、しっかりと際立たせるのである。
その結果、普段何となくふわっとした雰囲気で流されやすいこの曲の、実は工夫に溢れた内部構造が、浮き彫りにされる。
ペダルに埋もれやすいこういった対旋律をおろそかにしないことで、ショパンの敬愛したバッハの影響が、聴き手にも分かりやすく伝わるのだった。
舟歌風の第2主題では、その開始直前に短く効果的なルバートがあるものの、それ以外はイン・テンポで一貫して通される。
それでいて、角ばった調子には決してならず、舟歌風のたゆたうようなリズムがしっかりと活かされているのがすごい。
そして、コーダでは大見得を切ることなく、やはりイン・テンポで、しかし充実した力強い和音で、格調高く曲を閉じる。
まるで、同じ変イ長調で作曲された、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番のフィナーレのように。
彼の演奏は、テクニック的にも申し分なかった。
これら4曲は、イン・テンポで弾くにはあまりにも難しい箇所も多々あるのに、それを弾きこなしていた(余裕なさそうな箇所も、ないではなかったが)。
特に、第1番の最後の、広い範囲でダイナミックに音階を上行したり下行したりする部分や、第4番のコーダ直前のアルペッジョのユニゾンと連続する和音、そしてコーダの難しい三度和音の連続する部分、こういった箇所での余裕のある力強い演奏が印象的だった。
終演後には、彼自身による短いスピーチがあり、ショパンが1つの曲を出版するたびにフランス、ドイツ、イギリスと3つの国で別々の出版社により出版され(ドイツでは上記ブライトコプフ社)、これら3種の版でそれぞれ少しずつ音が異なるため、奏者としてはどれが本当にショパンの望んだ音なのか、しばしば判断に苦慮する、という趣旨のことを話していた。
ショパンの曲を弾くのに、これら3種の版の楽譜を集め、吟味しているピアニストが、いったいどれだけいるだろうか。
私の好みからすると、彼の剛毅なロマンティシズムには、ショパンよりも先日のブゾーニ(そのときの記事はこちら)などのほうが合っているような気はしたが、それでもここまでの綿密さ、真剣さでショパンに取り組むという姿勢には大きな感銘を受けたし、そんな彼の「厳しい」解釈を鍵盤上で表現することに、彼はかなりのところ成功していると私は感じたのだった。
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