上里はな子 松本和将 京都公演 モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ 第24、25、34番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「ヴァイオリンソナタ」

 

【日時】

2017年2月21日(火) 20:00 開演

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

ヴァイオリン: 上里はな子
ピアノ: 松本和将

 

【プログラム】

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 第25番 ト長調 K.301

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 第24番 ハ長調 K.296

シューベルト:ヴァイオリンソナタ 第1番 ニ長調 D384
モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 第34番 変ロ長調 K.378

 

 

 

 

 

昨日のシューマンとブラームスのピアノ三重奏曲の演奏会があまりに素晴らしかったので、昨日出演していた上里はな子、松本和将による本日の演奏会も聴きに行くことにした。

モーツァルトが母とともにパリに出向く前、途中で寄ったマンハイムで書かれた2曲(第25、24番)と、パリからザルツブルクへと帰ってきた後に書かれた1曲(第34番)。

これらで、シューベルトの第1番を挟み込む、というプログラミングである。

 

演奏は、もちろん、素晴らしいものであった。

ただ、私の好みとしては、モーツァルトの曲(これらは3曲はいずれも大変な名曲である)は、ふわっと軽やかな演奏を期待したいところである。

上里はな子の演奏は、昨日同様、情熱的で、ずっしりとした、重厚なものであった。

昨日のシューマンやブラームスでは、彼女のスタイルが曲によく合っていたが、本日はというと、まるでブラームスのように情熱的で重厚なモーツァルトになっており、何となくしっくりこないというか、私の好みとは幾分違っていた。

むしろ、ピアノの松本和将のほうが、モーツァルトならではの「歌」を存分に表現しつくすというところまではいかないまでも、わざとらしくない朴訥とした語り口と、薄めのペダルで奏される粒立ちの良いタッチが大変魅力的であった。

第24番の第1楽章など、そこかしこにトリル(装飾音の一種)が出てくるが、それらが大変明瞭に小気味よく奏されていた。

 

ところが、モーツァルトの曲の間に挟み込まれたシューベルトのソナタ、これが奏されると、上里はな子の演奏が途端に生気を取り戻したような印象を覚えた。

同じく重厚な演奏ではあるが、しっとりとした情感を湛え、曲調にぴったりと寄り添っている。

彼女は、ロマン派の音楽に適性があるのではないか、と感じた。

それとともに、モーツァルトとシューベルト、一見似ているようだが、やはりシューベルトはロマン派の作曲家なのだなと改めて感じたのだった。

 

終演後のトークでは、昨日一言もしゃべらなかった上里はな子が、小声で少しだけしゃべっていたのが印象的だった。

彼らの話すところによると、今後このカフェ・モンタージュで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲(幼少期の作品も含めて)を演奏していく予定で、今回がその第1弾になるとのことであった。

彼女のモーツァルトは私の好みとは違ったものではありながらも、そのような意欲的なシリーズはやはり楽しみである。

 

ちなみに、彼らは夫婦とのことだった。

そうであるならば、彼らによるデュオや、昨日のようなトリオを聴くことのできる機会は、今後も決して少なくないであろうことが予想され、嬉しくなった。

 

なお、今回モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第25番で、第1主題のトリルのついた音に付与された長前打音が、四分音符でなく八分音符の長さ(つまり半分の長さ)で奏されていた。

そのような版があるのだろうか。

 

 


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