「無伴奏ヴァイオリン」
- J.S.バッハ無伴奏作品全曲 vol.6, 7 -
【日時】
2017年 2月13日(月) 18:00 開演
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
バロック・ヴァイオリン:寺神戸 亮
【プログラム】
<第1部>
G.P.テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲集より第1番&第7番
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
<第2部>
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
カフェ・モンタージュで、寺神戸亮のコンサートが急遽予定されたということで、聴きに行った。
寺神戸亮というと、日本のバロック・ヴァイオリン界を牽引してきた人である。
カフェ・モンタージュで演奏する人たちにはすごい人も多いが、その中でもトップクラスと言っていいのではないか。
たった50人くらいの小さな会場で寺神戸亮の演奏が聴けるなんて、贅沢なことである。
演奏は、素晴らしいものであった。
私が聴いたのは第2部のみ(ソナタ第3番、パルティータ第3番)だが、バロック・ヴァイオリンならではの鄙びたガット弦の音色を十分に堪能することができた。
バロック・ヴァイオリンの演奏会は、小さめの会場が合っているように思う。
以前、大好きなバロック・ヴァイオリニストのレイチェル・ポッジャーの演奏会に行ったときは、会場が大きめであるため音が小さく聴こえ、やや物足りない印象があった。
その点、カフェ・モンタージュは素晴らしい環境である。
残響を介することなく、ヴァイオリンの音、ガット弦の音が直接聴こえるというのは、演奏者にとってはたまったものではないだろうけれども、聴き手にとってはありがたい体験である。
寺神戸亮の演奏様式は、師のシギスヴァルト・クイケン譲りの質実剛健なもので、1音1音しっかりと踏みしめるように弾いていく。
パルティータ第3番のプレリュードなど、例えば流麗で軽やかなイブラギモヴァの演奏などと比べると、まるで別の曲のようである。
ピリオド様式のため、ヴィブラートは極力小さめとなっており、素朴な味わいがある。
特に、ソナタ第3番のフーガ主題など、薄めのヴィブラートで弾くのが適した旋律だと、今回感じた。
ガット弦特有の音色も相まって、曲の清澄な雰囲気がよく出ており、全く作為的でないのに(あるいは、ないからこそ)大きな感銘を受けた。
バロック・ヴァイオリンは音が狂いやすいのか、かなり頻繁に調弦をしていたし、また難しそうな箇所では音程が不安定になっている場合もあったが、全体的には概ね安定した音程で、さすがであった。
彼は、いわゆるヴィルトゥオーゾ・タイプというわけではないようであった。
先日、同じバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルティータをチョン・キョンファの演奏で聴いたが(そのときの記事はこちら)、彼女の場合は音程はより不安定であったものの、ときにハッとするようなキレのある技巧や、輝かしい音色を聴かせてくれる瞬間もあった。
寺神戸亮の場合は、逆にそのような瞬間的なセンスは、あまり重視していないような感じがあった。
彼は、鮮やかに弾くというよりは、1音1音かみしめるように、丁寧に弾いていた。
和音を丁寧にゆっくり弾くため、和音を弾くたびに少し間が空いて、リズムに乗っていないような感じになってしまうこともあった。
しかしその分、和音の扱いが丁寧でむらがないため、切れぎれに記譜してある高音部や中音部のパートが、まるでつながっているかのような自然なフレーズ感をもって奏されていた。
さすが、バロック音楽を専門的に長年弾いてきただけあって、対位法の処理についてのこだわりが感じられる演奏だった。
倉敷、福山、尾道と連日公演があり、さらに続けて京都に寄ってくれたという、なかなかのハードスケジュールだったようで、今日も終演後にゆっくりする時間もなくさっとタクシーに乗り、忙しそうであった。
きっと引っ張りだこなのだろう。
今後もぜひ、バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとしてはもちろん、ソリストとしても、ちょくちょく関西に寄ってほしいものである。
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