ロイヤルチェンバーオーケストラ 大阪公演 西本智実 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

西本智実指揮 ロイヤルチェンバーオーケストラ

~The America~

アメリカで生まれた名曲たち

 

【日時】

2017年2月5日(日) 開演 14:00

 

【会場】

岸和田市立浪切ホール 大ホール (大阪)

 

【出演】

指揮:西本智実

管弦楽:ロイヤルチェンバーオーケストラ

監修・解説:神尾保行(第1部)

 

【プログラム】

<第1部> ジョン・ウィリアムズ生誕85周年ベスト・セレクション

スーパーマン ~メイン・タイトル・マーチ~

タワーリング・インフェルノ ~メイン・タイトル~

ジョーズ ~サメ狩り/テーマ~

ホームアローン ~サムホエア・イン・マイ・メモリー/さあ、出発だ!~

インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 ~とらわれの子どもたち~

レイダース:失われたアーク ~レイダース・マーチ~

ハリー・ポッターと賢者の石 ~プロローグ~

ジュラシック・パーク ~ジュラシック・パークへようこそ~

スターウォーズ:シリーズより

 エピソード4:新たなる希望 ~ヒア・ゼイ・カム~

 エピソード7:フォースの覚醒 ~レイのテーマ~

 エピソード5:帝国の逆襲 ~反乱軍艦隊/フィナーレ~

 

―休憩―

 

<第2部>

ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」

 

※アンコール

ジョン・ウィリアムズ:「ET」 ~テーマ~

 

 

 

 

 

西本智実&ロイヤルチェンバーオーケストラのコンサートを聴きに行った。

今回のコンサートは、「アメリカ」がテーマであるらしい。

前半はジョン・ウィリアムズ、後半はドヴォルザーク。

ジョン・ウィリアムズのセレクションは、おそらくとても有名なものばかり。

しかし、映画に疎い私には、知らない曲も多かった。

ホームアローンなど、私も昔観たはずなのだが、聴き覚えのある音楽ではなかった。

ジョーズでさえ、聴いたことあるようなないような。

ただ、この半音上昇音型を繰り返すパターンは、後半のドヴォルザーク「新世界より」の第4楽章冒頭と似ており、呼応させているのかな、とも思った(たまたまかもしれないが)。

こんな私でも聴いたことのある曲もあって、インディ・ジョーンズの有名なメロディにはにんまりさせられたし、ジュラシック・パークのテーマなどは、観たのがだいぶ昔で内容はよく覚えていないのに、音楽だけはやたら覚えていて、懐かしさが込み上げてきた。

ハリー・ポッターは、チェレスタの使い方が印象的な曲で、夢幻的な雰囲気がよく出ており、チャイコフスキーの「こんぺい糖の精の踊り」を思わせた。

そして、スターウォーズは、メドレー風になっていたこともあり、いくつか知っているメロディもあった。

しかし、ほとんどはやはり知らない音楽であり、スターウォーズくらいは観なければ、と思った。

好きな映画は、と聞かれるとなかなかに困るのだが、「ウェストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」といったいくつかのミュージカル映画は好きだし、「アポロ13」や「タイタニック」といったノンフィクションものも好きである(タイタニックは、主役とその家族はフィクションだが)。

資料を丹念に集めて、できる限り史実を正確に再現した、みたいな映画が好きである。

実際にこんなことが起こったのかと思うと、感動してしまうのである。

そうは言いつつも、例えば「ライフ・イズ・ビューティフル」のようなフィクション映画も、「これはさすがに無理でしょう」と思いながらも、やっぱり感動してしまうのではあるけれども。

 

話がそれてしまった。

コンサートの後半は、ドヴォルザークの「新世界より」だった。

ドヴォルザークは、私にとっては、とても好きというところまではいかない作曲家である。

なぜなのかは、よくわからないけれども。

それでも、大好きな曲もいくつかある。

それは、名演が私に曲の良さを気づかせてくれたのだった。

ヴァイオリン協奏曲は、五嶋みどりとオイストラフのおかげ、ピアノ五重奏曲は、クレア・フアンチのおかげ、そして弦楽セレナードは、ヤクブ・フルシャのおかげで、大好きな曲になった。

そしてもう一つ、この「新世界より」。

これは、まさに西本智実のおかげで好きになったのである。

この曲は、あまりに有名すぎて、食傷気味というか、耳タコになってしまっていた。

クーベリック盤も、アンチェル盤も、非常な名演とは思うのだが、心から感動するというところまではなかなかいかないでいた。

しかし、西本智実指揮、ブダペスト・フィル盤。

これを聴いて初めて、あぁやっぱり名曲なのだなと再認識することができた。

西本智実は、この曲のボヘミア的要素も、アメリカ的要素も、前面に押し出すことをしない。

むしろ、ベートーヴェンやブラームスのような、重厚でドラマティックな一交響曲として扱い、真正面から取り組む。

それが、私にはしっくり来たのだった。

この扱い方は、カラヤンと似ているといっていいかもしれない。

ただ、カラヤンの場合は、ときどき引きずるような重いテンポになることがある(例えば第1楽章、第1主題を呈示したのちフォルテ(強音)で確保する直前の箇所など)点、またときにやたらレガートを用いて粘りの強い演奏になる点などが、少し気になる。

また、今となっては音質面でもやや古くなった。

その点、西本智実盤にアドバンテージがあるといえようか。

 

第1楽章はゆったりとした序奏で始まるが、ここからしてかなりの緊迫感に満ちている。

カラヤンがここでは雄弁かつ繊細なピアノ(弱音)なのに対し、西本智実はより大きめの音で豊かに低音を膨らませる(ここは、どちらの解釈も好きである)。

表現しようという意欲に溢れているが、それでいてやりすぎることなく、テンポの扱いには厳しさが保たれている。

そして、主部へ向けて少しずつ盛り上げていく。

主部に入ってからもさらに盛り上げていき、上述のように第1主題をフォルテで確保する箇所が、最初の頂点となる。

こういったところの盛り上げ方が、西本智実は抜群にうまい。

盛り上がりながらも、浮足立つことなく、重厚さを失わない。

ずんと腹にこたえる演奏である。

第2主題では、いったんテンポを大きく落とす。

その後、また少しずつ少しずつテンポを速めていき、同時に音量もどんどん強めて、聴き手の気づかぬうちに自然な形でクライマックスを作り上げていくのである。

そして、コデッタ(小結尾)主題はとても優雅にゆったりと奏され、さきほどの盛り上がりとは好対照をなす。

こういった音楽の盛り上がりは、展開部やコーダ(結尾部)でも遺憾なく発揮される。

展開部の、特に擬似再現の部分など、とりわけ高められた迫力が素晴らしい。

そして、コーダではテンポもどんどん速められ、せき立てるかのように畳みかけ、圧倒的な終結を迎えるのである。

以上が第1楽章の流れだが、すばらしさは第2~4楽章でも変わらない。

イングリッシュホルンにより奏される、あまりにも有名な第2楽章のメロディでは、絶妙な音価の伸び縮みにより豊かな情感が表現される。

また、第4楽章は、これも有名な楽章だが、この曲は盛り上がるべき最後のコーダの部分でいきなりゆったりしたテンポになったり、その後ズンチャズンチャしたリズムで終結を迎えたりと、下手すると何だかもっさりした冴えない終わり方になってしまいかねない作りになっている。

しかし、ここでも西本智実は圧倒的なフォルテでまるでベートーヴェンのような迫力を聴かせるし、その後のズンチャズンチャの部分も、引き締まったテンポ、リズムで曲を終結へと導く。

そして、最後の和音の後にまるでエコーのように鳴り響く管楽器の、大変美しいハーモニー!

こういったところまで、彼女は実にうまい。

 

今回のロイヤルチェンバーオーケストラとのコンサートでも、ブダペスト・フィルとの録音と、基本的には同様のアプローチを聴くことできた。

ただ、ロイヤルチェンバーオーケストラのほうは室内オーケストラのため、弦が10-8-6-6-4という小編成であり、録音に比べると重厚さは薄まり、より爽やかさの際立った演奏となっていた。

大編成での演奏も聴いてみたかったが、今回のような小編成での演奏も、これはこれで美しく、楽しめた。

 

西本智実の音楽の重厚さ、物語性、そしてテンポの絶妙な扱いは、往年の巨匠フルトヴェングラーに共通するところがあると思う。

フルトヴェングラーは、この曲の録音を残さなかった(かつて発売されたことがあったが、ニセモノと判明したようである)。

そのため、彼のこの曲の演奏は想像するしかないのだが、西本智実の演奏に共通する点が、少なからずあったかもしれないと、私は考えている。

もちろん、フルトヴェングラーの場合は、もっとずっと重厚で、かつ鬼気迫る演奏だっただろうし、西本智実だって彼女は彼女で現代に即した、彼女ならではの演奏スタイルを持っている。

しかし、やはり共通する点はあったのではないだろうか。

彼らのアプローチは、例えるならば、昔ながらの蒸気機関による巨大な動力、といったところか。

すぐには作動しないが、徐々に温まって動きが速くなり、最終的には圧倒的なパワーを呈する、そんな巨大な蒸気機関を想起させる。

一見、不器用ともいえるような重さがあるけれども、きわめて有機的に、自然にテンポやデュナーミク(音の強弱)を変化させていくのである。

それに対し、例えば現代の独墺系指揮者を代表するティーレマンなどは、同じような重厚さを持ち合わせているけれども、もっと自在に軽々とテンポやデュナーミクをコントロールする。

上記のたとえを再度用いるならば、巨大な蒸気機関を模しているけれども、実は精密機器、いやさらに進んでデジタル機器で動かしているような、大きいけれども実は自在に動きをコントロールできるような、そんなイメージである。

ぱっと見たところでは似ていても、実は動力の根本からして異なっている、それほどの大きな違いがあるような気がするのである。

 

我ながら、西本智実の演奏を紹介するたびに、フルトヴェングラーを引き合いに出している気がする。

くどい、というお叱りをいただくかもしれない。

その通りであり、返す言葉もない。

ただ、フルトヴェングラーをこよなく愛する身としては、この類似はとても嬉しいのである。

見逃していただけるならば、大変ありがたい。

 

なお、今回の演奏会は、拍手などの感じからいって、普段クラシック音楽のコンサートには行かないような方々が少なからず来ていると思われた。

こういった方々に来てもらえるのは、とても素晴らしいことだと思う。

その橋渡し役たる西本智実には、今後も活躍してほしいものである。

 

 


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