北村朋幹 大阪公演 シューベルト ピアノ・ソナタ第18番「幻想」 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

シューベルト こころの奥へ Vol.3 北村朋幹

 

【日時】
2016年12月16日(金) 19:00開演

 

【会場】

いずみホール(大阪)

 

【演奏】

ピアノ:北村朋幹

 

【プログラム】

ベートーヴェン:6つのバガテル Op.126
クルターグ:「遊び」より6つの小品

 - 花、人…(1b)(Ⅰ)

 - 嘆きの歌(2)(Ⅲ)

 - ファルカシュ・フェレンツを称えて(2)(コリンダ・メロディーの断片)(Ⅲ)

 - (悪魔との静かな対話)(Ⅲ)

 - 無窮動(オブジェ・トゥルヴェ)(Ⅰ)

 - 告別(ヤナーチェクのスタイルで)(Ⅵ)
シューベルト:楽興の時 D.780 Op.94
シューベルト:ソナタ第18番ト長調 D.894 Op.78「幻想」

 

※アンコールは何の曲か分かりませんでした(きれいなメロディの曲でしたが…)。

 

 

 

 

 

いずみホールでは、今年から来年にかけて、シューベルトのコンサート・シリーズを開催している。

今回の演奏会も、その一環である。

北村朋幹は、2008年第9回シドニー国際ピアノコンクールに入賞したり、2005年第3回東京音楽コンクールで優勝したりと、活躍しているピアニストだが、これまでに聴いたことはなかった。

今回聴いてみると、まず最初のベートーヴェンのバガテルでは、何となく地味な演奏である。

ことさらに音色を変えたり、いかにも滋味深く演奏したりすることなく、淡々とした、モノクロームな印象である。

ホール中に響き渡るような、よく通る音を出すタイプではなさそう、と感じた。

ペダルはしっかりと使用しており、急速なパッセージではときに歯切れが悪く感じることもあった。

そんな中、3曲目(変ホ長調、アンダンテ)の終わりの部分は、きわめて繊細なピアニッシモの表現で、印象深かった。

 

次は、クルタークの小品。

クルタークの曲は全くといっていいほど聴いたことがなかったが、今回聴いてみて、なかなか良いと感じた。

響きを重視した曲が多い印象である(クルタークが倍音に執着していたとはよく聞く話)。

そして、北村朋幹のこれらの曲の演奏は、先ほどとは見違えるように大変良かった。

さっきのベートーヴェンで、一部きわめて繊細な表現が聴かれたことを前述したが、それがこのクルタークでは全開しているような、そんな印象だった。

特に、第3曲目の、単音でぽつぽつと弾き紡いでいく曲、そして第5曲目の、左手と右手が交互にグリッサンドしながら波のように少しずつ大きくなりまた静まっていく曲、これらがとりわけ印象的だった。

精妙な響きへの鋭い感性が、北村朋幹にはあると感じた。

 

その後は、シューベルトの「楽興の時」。

これは第1曲目から、あまりシューベルト特有の歌心に満ちているとは感じられず、途中うとうとしてしまったこともあり、あまり印象に残っていない。

 

休憩を挟んで、後半はシューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」。

これも、最初はいまいちかなぁと思ったのだが、第1楽章展開部あたりから印象が変わってきて、シューベルトの慎ましくも切実な歌が聴かれるようになった。

北村朋幹がシューベルトの世界に入り込んでいったのか、あるいはこちらの聴き方が変わったのか。

第2楽章も、すっと胸に入ってくる、心の歌になっていた。

歌いすぎることなく、またそっけなさすぎることもない。

ちょうど良い歌い口で、感動的だった。

第3楽章も良かった(ただ、トリオの部分はややそっけなく、もっと歌ってほしいと感じたが)。

そして、軽やかさに満ち溢れた第4楽章も、曲調によく合った演奏で、とても良かった。

そもそもこの曲は、本当に比類ない名曲である。

伸びやかで、でも内向的で、心の奥底からの真実の歌に満ちている。

こんなソナタを書いたのは、後にも先にもシューベルトしかいないだろう。

それを生演奏で見事に披露してくれた北村朋幹に対し、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

アンコールも、何の曲かは分からなかったが、良い演奏だった。

全体的に、心に残る演奏のときと、そうでもないときとがくるくると変わるコンサートで、私としては新鮮な体験でもあった。