兵庫芸術文化センター管弦楽団 第90回定期演奏会 佐渡裕 ブルックナー 交響曲第9番 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

兵庫芸術文化センター管弦楽団

第90回定期演奏会

 

【日時】

2016年9月17日(土) 開演15:00  (開場14:15)

 

【会場】

兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

 

【出演】

指揮・芸術監督:佐渡 裕

管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

 

【プログラム】

ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調

 

 

 

 

 

ブルックナーの交響曲第9番は、つい先日、大植英次&大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏でも聴いた。

そのため、つい比較してしまうが、まず兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)は、音がとても美しい。

特に弦楽器。

団員はみな若く、終身雇用ではなく3年程度までの一時的な雇用のようで、次のステップを見つけるまでの経験積みの場となっているらしい。

若い才能がどんどん入ってくるためか、団員のレベルはとても高いように思った。

もちろん、大フィルは大フィルでレベルは高いし、すごいのだが、他の多くのオーケストラと同様に、メンバーの流動性は高くないだろうし、どんどん切磋琢磨しレベルアップしていく、という状況はPACほどにはないだろう。

コンサートの冒頭で、音楽監督の佐渡裕が「私は、ブルックナーには金色の音というイメージがあります。今日それがもし実現できたら幸いです」というようなことを言っていたが、金色かどうかは分からないが、美しい音色はかなりのところ実現できていたのではなかろうか。

 

しかし、である。

ブルックナーを聴いた満足感が十分に得られたかというと、実はそうではなかった。

解釈もまっとうなもので、自然な呼吸があるし、大植英次のようにドラマティックなデフォルメがあるわけでもない。

例えば、私の好きなケント・ナガノのブルックナーと、共通する部分だって多々あるはずなのである。

しかし、ナガノの場合は、弦が極めて透明感のある美しい音で、管もまろやかで互いに実に調和しており、聴いていて魅了される。

そのためか、往年の巨匠たちのような重々しいテンポでなく、淡々としたすがすがしいテンポであっても、十分に雄大で澄み切ったブルックナーの世界を感ずることができるのである。

佐渡裕&PACの場合だって、音は美しいのだが、透明感に富んだ緊張みなぎる繊細な弱音とか、そういった特色ある音ではなく、ただ淡々と爽やかで美しいといったふうなのだ。

あまりにさらさらと流れていってしまい、聴き手の心にがつっと引っかかってはこない。

これは、去年の年末に聴いた、同じく佐渡裕&PACの第九演奏会のときにも感じたことである。

この原因が、佐渡裕にあるのか、それともPACの団員たちの若さにあるのか、そのあたりのことはよく分からないけれども。

もちろん、演奏のレベルが高いことは言うまでもなく、贅沢な次元での話である。