劇団四季 「ウェストサイド物語」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

劇団四季 「ウェストサイド物語」

 

【日時】

2016年7月23日(土) 13時開演

 

【会場】

京都劇場

 

 

 

 

 

劇団四季を観るのは、実はこれが初めての機会である。

ウェストサイドストーリーは大好きなミュージカルで、映画版のDVDを持っている。

ただ、それを何度も観すぎたためか、今回の公演は残念ながら存分には楽しめなかった。

当然のことなのだが、公演は日本語なのである。

セリフもさることながら、特に歌の部分!

日本語だと、歌のカッコよさや味わいが半減してしまう印象をもった。

単に英語版に慣れてしまっていただけなのだろうか…?

さすがに「トゥナーイト」が「今夜ー」に訳されて歌われてはいなかったのには、ほっとした。

オペラのように、原語上演(字幕付き)が一般的にならないものだろうか?

 

ただ、問題はそれだけではなかった。

演技が、何となく不自然というか、人工的な感じがしたのである。

大きな会場で、声を張り上げなくてはならないので、仕方ないのかもしれないが。

ストーリーに惹きこまれ感動するというよりは、「劇団四季ってこんな感じなのかー」と冷静に観てしまった。

これなら、先日観た劇団プラネットカンパニーの演技のほうが自然で素直に感動できた。

もちろん、素人判断の勝手な意見なのだが。

最後の終幕後のカーテンコールも、みんなで一斉にするワンパターンなお辞儀の繰り返しで、やはり人工的な感じ。

何となく、人間味に欠けるというか、もっと自由にふるまっても良いような気がしたのだが…。

 

つい否定的なことばかり書いてしまったが、声は良く通るし、歌も踊りもうまいし、さすがプロと感じさせる点も多かったことは書き添えておきたい。