大阪フィルハーモニー交響楽団 第499回定期演奏会 スピノジ ショスタコーヴィチ 室内交響曲ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

第499回定期演奏会


【日時】
2016年6月18日(土) 15:00開演


【会場】

フェスティバルホール


【演奏】

指揮:ジャン=クリストフ・スピノジ

大阪フィルハーモニー交響楽団


【曲目】
ラヴェル/ラ・ヴァルス
ラヴェル/ボレロ
ショスタコーヴィチ/室内交響曲 ハ短調 作品110a
プロコフィエフ/古典交響曲 ニ長調 作品25(交響曲第1番)






大フィルの定期演奏会である。

12列目の座席(前の方は座席がないので、実際には7列目くらい)であり、迫力の音が楽しめた。

響きを楽しむという点においては、もっと後方のほうがよかったかもしれないが。

ラヴェルなど、かなりの音量だった。

ラヴェルのラ・ヴァルス、この曲は2015年浜松国際ピアノコンクールでドミトリー・マイボロダが演奏したライヴCDを持っているが(ピアノ独奏版)、この演奏はこの曲の全てを表現しつくしているといっても過言ではないと私は思う。

ちょっとしたルバート(テンポの揺らし)、小気味よいスタッカートやアクセント、神経の行き届いた美しい音色、良くコントロールされた繊細なタッチ、絶妙なグリッサンド、クライマックスでの大きなタメ、そして最後の一気呵成のアッチェレランド(加速)と大見得を切った終わり方、どれを取っても非常に個性的でいながら、この曲本来の魅力をぐいぐい引き出して余すところがない。

これと比べてしまうと、他のピアニストの演奏はおろか、管弦楽版でさえも、それもあのネゼ=セガンの録音でさえも、どこか生硬で満足できないのである。

この日のラ・ヴァルスも、生演奏だけあって迫力はすごかったが、やはり同様の印象となってしまった。


ボレロのほうは、途中で各楽器のテンポが微妙にずれそうな、危うい箇所があったけれども、全体的にとても良い演奏だった。

この曲は、同じく大フィルの演奏で昨年10月にも聴いていて(このときの指揮は大友直人)、このときも良かったけれども、今回もまた良かった。

この曲は、生演奏がよく映える曲だと思う。

生演奏だと、冒頭の小太鼓の刻みやフルートのメロディのように、きわめて弱音で奏される箇所であっても、とても良く音が通る。

クライマックスでの全管弦楽による最強音の迫力については、もはや言わずもがなである。

一見ごく単純な曲なのに、こうも圧倒的な感銘を受けるのは、やはりラヴェルの管弦楽法のなせる業だろう。


後半のショスタコーヴィチは、これは弦楽四重奏曲第8番のバルシャイによる編曲版である。

ピアノ三重奏曲第2番終楽章や、チェロ協奏曲第1番主要主題など、耳慣れたメロディがいくつか登場する。

そして、ショスタコーヴィチの名前から取ったD-Es-C-Hの音型がやたらと出てきて耳にこびりつく。

ショスタコーヴィチの苦しかった時代の所産である(だがいったい彼に安らかな時代というものがあったのだろうか?)。

そういった苦しみ、重々しさが出ていた演奏だったかというとよく分からないが、なかなかに美しい演奏だったようには思う。


そして、最後はプロコフィエフの古典交響曲。

ピアノ曲をメインに作曲していたプロコフィエフが、初めてピアノのない作品に本格的に取り組んだ、それも古典的な作曲家のうちハイドンの様式を参考にした、という曲である。

この曲は、西本智実指揮、ロイヤル・チェンバー・オーケストラの演奏会でも聴いた。

あのときは比較的落ち着いたテンポで、弦や管それぞれのパッセージが美しく柔らかく調和していて、「こんなに美しい曲だったかな」と、ハーモニーの扱いの妙に驚いたものだった。

今回は、よりleggeroな(軽やかな)テンポで、若々しく颯爽とした軽快さはよく出ていたが、西本智実のときのような美しいハーモニーは感じることができなかった。


全体的には、まずまずの演奏会だった。

スピノジの持ち味は完全には掴めなかったが、おそらく比較的小編成のオケによる颯爽とした演奏が得意なのではないかと思った。