関西フィルハーモニー管弦楽団 第274回定期演奏会
[日時]
2016年5月19日(木)
19:00開演 (18:00開場)
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[場所]
ザ・シンフォニーホール
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[出演]
指揮およびヴァイオリン独奏:
オーギュスタン・デュメイ(関西フィル音楽監督)
独奏:ミゲル・ダ・シルヴァ(ヴィオラ)
関西フィルハーモニー管弦楽団
[プログラム]
◆モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
Wolfgang Amadeus Mozart:Sinfonia Concertante for Violin and Viola E flat major K.364
◆ブルッフ:ヴィオラとオーケストラのためのロマンス ヘ長調 作品85
Max Bruch:Romance for Viola and Orchestra F major Op.85
◆ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
Johannes Brahms:Symphony No.3 F major Op.90
アンコール ビゼー アルルの女 第一組曲 から アダージェット
関西フィルの定期。
デュメイの演奏を聴くのは、実は指揮・ヴァイオリンともに今回が初めて。
最初は、モーツァルトの協奏交響曲。
デュメイのヴァイオリンは、洗練されているとはいえない。音程は甘めだし、フレーズも滑らかでなく、ところどころ音が飛び出してくる印象である。
彼のCDから類推するに、もっと若いころであれば、もっと洗練された演奏であったろう。
モーツァルトには、やはり洗練がほしい。オーケストラのほうの演奏は割と洗練されているだけに、残念である。
しかし、彼の音は分厚い。この音は、最近のすっきりした演奏が主流のヴァイオリニストたちからは聴かれない、ひと昔前を想起させるものである。
温かみがあり、存在感のあるこの音(実際、音量も大きいと思う)、往年の巨匠時代を感じさせるこの音、これが聴けただけでも良かったと思う。
ヴィオラのシルヴァという人は、イザイ四重奏団というカルテットのメンバーだったそうである。ここでのモーツァルト、ブルッフの演奏は、目立った特徴はないが渋く落ち着きがあるように感じた。
そして、メインプロのブラームス3番。
デュメイの指揮は、一言で言うと「濃ゆい」。
第1楽章で展開部に入るところや、第4楽章の提示部コデッタの主題の部分など、急に速いテンポになる。
加速するというよりは、急に変わるのである。
第2楽章では、フレーズの終わりごとにリタルダンド(減速)して、まるで前世紀前半の演奏のようである(確かクレメンス・クラウスのCDでもそんな風にしていた)。
こういった独特な表現と、逆にインテンポでさらさらと流れる部分とが、並置されている。
やはり、彼のヴァイオリンと同様に、洗練されていないのである。
そもそも、彼の指揮姿そのものが洗練とは程遠い。
腕をびゅっと突き出したり引っ込めたり、お世辞にもスマートとはいえない動きである。
バレンボイムにも通ずるところがあるように思われる。彼もまたデュメイ同様、もともと指揮者出身でなく、器楽奏者からの転向である。
もともとの指揮者は、アバドにせよ誰にせよ、先日マーラー6番を聴いた高関健にせよ、動きがスマートで滑らか、かつわかりやすいように思う。
デュメイの指揮は、ある部分では表拍を打っていたのに、その数小節後では(同じフレーズのうちなのに)いつの間にか裏拍を打っている、ということも見受けられ、奏者たちはわかりにくいんじゃないかなぁ、とつい思ってしまった。
しかし、しかしである。
これだけ罵詈雑言を書いておいてナンだが、私は実はこの演奏から感銘を受けたのである。スマートな指揮や演奏、イコール感動的な演奏、というわけではないことを思い知らされた。
彼の濃ゆい表現は、この曲における私の好みと合わないことがほとんどであったにもかかわらず、いずれもなかなか面白く聴けた。
さりげないクラリネットのひとくさり、オーボエのひとくさり、フルートやホルンのひとくさり、こういったものを大事にしている印象を受けた。ブラームスがこういったさりげないフレーズを、楽器ごとの特長を活かしながらどれだけ朴訥かつ雄弁に表現し構成しているか、それがよく分かる演奏であった。
弦も分厚かった。第2楽章の寂しげな中間部から、再現部へと戻っていく際の、あの低弦のふくらみ! 第3楽章のメランコリックな主要主題を奏するヴァイオリンの、寄せては返すクレッシェンド・デクレッシェンドの波! やはりこうでなくては、ブラームス特有の重厚な感情は表現できまい。大好きなフルトヴェングラーのブラームスを、少し思い出させてくれた。もちろん、あれほど重厚ではなかったが。
そう、思えば私はブラームスの交響曲を生で聴いて、アルミンク&名古屋フィルの4番にせよ、他の何にせよ、満足したことがなかったのである。初めて満足できた、といっても言い過ぎではないかもしれない。
ヴァイオリン・指揮ともに、往年の巨匠たちの至芸を垣間見せてくれたデュメイには、感謝である。