これはあくまでも私のケースである。

 

もちろんスマートにトレーディングをこなしているトレーダーはいるのだと思う。水を得た魚のように相場を泳いでいく人がいるというのを聞いたことがある。 たぶんその通りだと思う。これはひがみや羨ましさから言っているわけでもない。 自分でここまでやってきてそう実感するのだ。

 

さて、私の場合はというと、そういうわけにはいかなかった。

何度も何度も打ちのめされてきた。

最初のころはブログなどを読み漁りどうやったら勝てるのかと探し回った。 そこで覚えた手法らしきもの、例えば誰かがV字を自分の鉄板パターンとか書いていれば、そうかぁV字かぁと、一生懸命にチャートにV字を探してエントリーしてみる。結果は損切り。Wボトムを待つべきという記事を見つければ今度はそれを追いかける。 ただし、このころは少しは知識も付いてくるので過去検証などもやってみる。 そしてなるほどと思えるる。 これだな。などと学べた気になる。その過去検証さえも自分勝手なバイアスがかかっているのも気が付かずに。。 

 それで実践で試して、たまたまうまくいくことが一度あれば、その後は損切りの山である。 なまじチャートパターンの知識も付いてきたので、その間もちょいちょいと、なんとなくこれはいけるだろうという、だろうトレードを繰り返し。またはここまでは行くだろうと、まただろうトレーダーだ。 そしてじわじわと資金がとけて、なけなしの貯金を切り崩しては入金。

それで今度こそはと真剣に(自分的には)チャートを探求して勝てる方法を探る。それでなるほどと思い。 それでも損切りの山を作る。 それでも、やはりそうだったのかぁと気づきを得られるからやめられない、辞める気にならない。

それでも損切りだけが積もり積もっていく。 ここまでも絶望感は何度も味わってきたつもりだったが、、、

でも、少しづつわかってきた、私自身が原因なんだということ。 私という人格がダメなんだということ、このままではいつまでも勝てないということ。 そしてその自分の修正がなかなかできないという事実。 ここで本当の絶望を味わった。 それも何度も。

 

元来、私は自分に都合良く物事を見る性格だ、それをポジティブとか自分で思い。他人にもそう言われてきた。 実際、それで社会でもそこそこやれてこれたわけだ。 自分で事業を起こし組織を運営してきた、でも倒産破産を経験した。 その時ですら意味不明な前向き感を持っていたと思う。 たしかに色々と学んだつもりだったが、自分の本質的なものは何も学んでいない、気づいてもいない。それで来てしまった。

 

相場からとことん自己否定されて、否応なく自分の性質を無理やり自覚させられた。 とてもしんどいことだ。 自分のダメさ加減とか生易しいものでは無い、自分の本性と向き合わせられる。

私にとってトレードで勝つとは、自分を覚醒させることだったと思う。 非常に苦しい作業だ。

私のトレードノートには、その時に自分は何を感じ何を思い、そしてどう考えたか、考えなかったか、その結果どう行動したかを書き込んでいく。 そして自分という人間をそこにあぶり出していく。 手法とかチャートパターンとかよりも、そこで行動してしまった自分、行動できなかった自分。 その自分という人間を記録する。 そして自分という人間の性質を理論化し、その何が問題だったのかをあぶり出す。 そしてそれを自分に認識させる。それを繰り返しやってきた。

他の人はどうだかわからないが、私はそこまでいかないと勝てるようになれなかった。

 

自分という人間の負を認識してそれを飲み込み覚醒する。  それが絶望のこちら側にあったことだ。

 

私みたいにトレードに向いているわけでもなく、器用でも無い人間はそこまでしないと勝てない。それでも勝ちたかった。

 

ジョージソロス氏の著書にこんな一文があった。

「私はファンドマネージャーになっていなかったら哲学者になっていただろう。」

 

相場には哲学が必要なのだろう。

相場に限らず、私は生ある限り哲学をもって生きていきたい。