全てを後ろに置いて行くんだ。
ただ、前を向いて振り返らずに走るんだ。
その先に何があるのかを、考えない。
恐れはしても立ち止まりはしない。
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最初に申し上げると、ここからの一節はかつてブログでも語ったことの、自分のための箇条書きまとめだ。長いので飛ばしていただいてかまわない。
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子供のころ〜学生時代にマスコミ仕事を夢見たこと、その純粋な故にフワフワした夢の中身。
念願叶ってそれらしき会社に入ったこと。
最初の所属先はやや部署違いだったけれど、まずはその会社の一員になれたことの喜びを持って、とにかくそこで全力を尽くそうと誓った日。
数年後、夢のど真ん中の仕事に異動叶って、でもやはり夢は夢で、実務の力が足りないことに歯噛みして、スピード重視の業界なのに馬鹿みたいに無駄な時間を使ってでも、とにかく仕事に誠実であろうとした日々。それでも幸せだった日々。
また数年後、色々あって同業種の系列子会社に入社し直した。社会的安定性は落ちたけれど、下手に幹部候補の縛りなんか求められなかったから、思う存分一編集者として力を尽くせたこと。とてもハードでブラックだったが、それすら生きている実感だった。これもまた、幸せな記憶。
(たまには権力が欲しいとも思ったけれど)
社員は十数名と少なく「私の」会社ではなかったけど、試験もなしに拾ってもらった恩義と思い、懸命に後輩を育てようとした。
そうやって未来に繋げていくことが、
何を好き好んで正社員から辞めて来たのかと問われる人間の、唯一の恩返しだと思ったこと。
しかしある時、後輩と呼べる若い世代が、おおよそ全員揃って29才前後のタイミングで、感謝をあふれるほど語りながらも、新しいステージという美句と共にゴッソリと7〜8人辞めた。
それでも気を取り直して次の世代を育てたこと。でもまた見事に数年後、29才クライシスでみんな辞めたこと。
会社に残り続けた仲間には、グループ会社の取締役の1人も兼ねる、私より社歴は長いが同年代の女性の相棒がいた。よく仕事でタッグを組んだし信頼していた。仲良しと言うには語弊があるが、背中を預けることに躊躇はなかった。
だが長い彷徨の果てに相棒は会社(という形態さえも整わないほど悪化した)の現状を見据え、若い人のみならず残っていた昔からの人々の首切りを躊躇わなくなった。
対して私は私の考えうる最善の選択として、また現場サブチーフとして「力を合わせられるグループを作ることこそ未来への命綱」と正論ではあるが実効性の薄いポリシーを語り続けた。
人数が減ったのに減らない仕事、
下がっていく単価。年月を経る肉体。
すでに会社が会社の体を為すことが難しいほど破綻しており、その負債金の一端を相棒が極秘で担っていたことを知らされたのはある年の瀬。
私はそれを担うことを免除された罪悪感の重い鎖をつけられた。また傾いているとはいえ、会社の看板を背負った仕事人としての微かなプライドもそれを後押しした。
そんな細いワイヤーに何重にも巻かれて逃げられぬ立場、半ば覚悟して崩れていった心身。
多くの人は「逃げろ」と言った。我が夫もそう進言した。だがどうにもしようがなかった。
精神科病棟への入院をへて、復職はしたものの、その後もすったもんだは続き、ついに上と相棒に対し、グラスを叩き割る寸前の大ゲンカをして辞めた2012年。
その後一見、華々しいフリーランスデビューを果たしたかに見える私に仕事は来た。
だが、そこにさらなる地獄があった。自分が思う以上に「仕事をする心の力」は残っていなかったのだ。
想像以上に、体以上に、心は崩壊していて、歯をくいしばるほどのプライドの拠り所も見つからず、弱さが露呈し、フリーとしてたくさんの仕事をポシャらせた。
そのために、せっかく10数年来築いてきた、多くの人との繋がりが切れた。それはもうあっさりと。
当たり前だ。私でもそうする。
そんな自分に恐怖し、カウンセリングに通い始めた。けれどどれも決定的な解決策にはならなかった。
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今日、今も机の前に座ったまま、これ以外ひとつも文書を綴っていない。
仕事を仕上げてない。
本日納品なのに。
笑える、笑ってしまう。
デパスも「できることからひとつひとつ」なんて文言も今の私を救いはしない。
心の氷河はちっとも溶けていない。
ここ数年、文筆以外のバイトもやった。
ごく普通の労働から、見聞と思って異色なことも試してみた。
でもどれも、比較的早く飽きた。
甘っちょろいことを言えば「合う手応えに出会えなかった」。
フレキシブルな便利屋助っ人バイトが3年で最長に持ったほうだ。
我儘と言われてもただの事実だ。
反論はしない。
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私に夫はいる。
一応上場企業に勤めている。だが勤めていることと、妻を遊ばせられる賃金の高さとは直結しない。
補足しておくが、生活保護を受けるような事態ではない。
ただ、私と夫という夫婦が当初に描いていたどんなトラブルにもこんな事態は予測されていなかった。
病気も怪我も、子育ても、全て可能な限り保険や調査で準備したというのに。
元々「絵に描いたような家庭は作れないかもしれないが、自分の為に働く機会を大事にしよう」が結婚の条件だった。
私が動ける体を持っているのに、金を稼がなくていい道理は私たち夫婦には存在しない。
家事。それがどうしたというのだ、世に憧れられる美しさや栄養価は低いが、働きながらできる範囲の家事で(ぶっちゃけ、なかなかに荒れていたが人は住めた)、その生活で我が夫はさほど不平はないと公言している。
彼が育った山手の屋敷のような、素晴らしく整った家庭生活も慣れているので嫌いではないが、そこは気になるところではないと彼は言った。どうも嘘ではないらしい。
そうやって20年間夫婦をしてきた。
そこに食費代はともかく、今更、家事に仕事としての金銭的対価をもちこむには長い議論を要するだろう。
子供もいない。特に欲しいわけではなかったが、単純に授からなかった。一応人工受精を数回やっていずれも着床しなかったのだから、これはもう運だろう。
繰り返すが夫に私を遊ばせておく金はない。世の各家族の大黒柱様方には噴飯ものかもしれないが、
子供がいないとはいえ、私を自由に放る前提があったなら、彼の会社での歩みも違っていただろう。
家賃と保険は手続きの煩雑さを避けるため夫に任せてあるが、
固定電話・水道・電気・ガス・某国営放送は、先に独り暮らしをしていた名残で私の管轄だ。自炊用の食費も80%は私が払う。
また、私だって電車にも乗ればたまには喫茶店にも入る。
だから私は私で金を稼がねばならない。
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かつて私たち夫婦は頑張った。
私の中の何かがおかしいと気づいてから何年間も互いを見つめ、理解し、寄り添いあおうと努力した。
だが結婚という契約が経済的根本の部分で大きく崩れ、それが回復の見込みを見せない今、私たちはいつまで共に在れるだろう。
共に居たとして、それは幸福と呼べるのだろうか?
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ともかく、
それも、これも、あれも、
何もかも。
未来への不安さえも。
今は遥か遠くに置き去って走るのだ。
前だけを見るのだ。
そして、やはりその脚の動きはどれだけ速かろうが「ひとつひとつ(一歩一歩)」なのだ。
古い名作アニメの主題歌で、
おこがましいことこの上ないが
「涙で渡る血の大河、
夢見て走る死の荒野」
という一節がある。
その先に彼らは何を見ただろう。
何を見たいと望んだだろう。
昨日までの日々が罪と汚濁にまみれていても、今日屠ろうとする相手のことをよく知っているとは言えなくても、
全力で時を超える勢いで彼らは走っていた。
彼らは何を信じたのだろう。
努力と誠意を尽くしてさえ、社会構成員として機嫌よく生きるには、何かが足りないと思い知らされる今のような時、
私は荒野を走る幼き頃に見たヒーローたちを思い浮かべる。
彼らに今さら頼ったり心寄せたりするほど子供ではない。
ただひとつのイコンとして、その姿は眼の裏に走る。
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過去に何があったとしても、
今、苦しみが包んでいても、
それら全てを後ろに置いて行く。
ただ、前を向くんだ。
その先に何があるのかを
恐れはしても立ち止まりはしない。
音を超え、光の速さで
全てを置き去りにして走る。
その非理論的な輝きだけが、
今の私を、ほんの少しだけ
良い気分にさせる。
ひとつ、そんなデータを収集した。