昨晩眠れなかったので、少し長いが書いてみた。誠に勝手なきっかけで申し訳ない。

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過去、多くの人にインタビューしたが印象に強く残っている相手のひとりに後藤久美子さんがいる。
ディスりではないし、20年以上前のことなのでハッキリと実名を出そうと思う。

実は彼女と私の縁は一般と比べればやや深い。忘れもしない人生初インタビュー相手だったのだ。

その頃の私は雑誌編集者ではあったがインタビューメイン担当ではなく、しかも新人配属2ヶ月後くらいだった。怖いとか緊張を通り越して何が何だかわからなかったのを覚えている。

彼女が出演していた映画の、メディアミックス(小説やコミック)担当編集部からの簡単なヒロインコメントの依頼だった。文字数も少なく、新人で充分だと会社は考えたのだろう。
今は亡き大船の映画撮影所の廊下に設えられた応接セットがインタビューの場所だった。

ともかく鮮烈に覚えているのは「後藤久美子です」と現れた彼女がソファーに音もなく腰を下ろし、人魚の尾びれを整えるように優雅に脚を組んだ一連の動作だ。

何と、あまりに自然な。
あまりに美しすぎる。

柔らかな水の流れが眼前を通り抜けたかのような「優雅」の化身。しかも彼女と私はそう歳が離れてはいない。

大学の友人にも後にアナウンサーやCAになった美女がいたが、
幼い頃からプロモデルとして地位を確立し、遂には「国民的美少女」の称号を得た彼女の佇まいは桁違いの格に満ちていた。

正直なことを言おう。
ギリギリ「コメント」と呼べるくらいの話はできたが、編集部で整え直してみると「今回の映画に出演した感想、意気込み」という、インタビューの基本中の基本がすっぽりと抜けていた。
要するに私はあまりに美しい女性に魂を抜かれ、世間話だけしてノコノコと帰ってきたのだ。

後藤久美子さん自身も「?」と思ったことは間違いないが、正式な映画プロモーションではなかった為だろう、特に問い直すことはしなかった。

後日、恐る恐る上司に原稿を提出した際、手塚治虫の描くギャグシーンさながらに吹っ飛ばされて叱りつけられた。これは一切合切、比喩ではない。

映画会社に泣きついて製作発表会見での文字資料をFAXでもらい、それをツギハギして入稿した。
だが今思い出しても彼女の洗練された動きと美脚しか記憶がないのだから、仕事として話にならなかったことは明らかである。

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それから10年以上後、何の神の悪戯か私は再び彼女にインタビューする機会を得た。

彼女がイメージミューズを務める美容ブランドに関する記事だった。
だが不思議なことに今回も通り一遍の記者会見とそれに付随する囲み取材ではなく、彼女のメイクルームでのマンツーマンインタビューと相成った。
それはブランドオーナーと当時関わっていた編集部との関係性によるものだったが、詳細は割愛する。

テーマは「美の秘訣」。
コスメブランド絡みのインタビューでコレを聞くのはなかなかチャレンジャーな所業ではある。
食品にしろサプリにしろ、たとえ事実であっても他メーカーの名前が出てきては一発でアウトだからだ。

私も初インタビューから10年以上、有りとあらゆる条件下で仕事を全うしてきた自負があった。

常にインタビューの前には相手の予習はする。特にリベンジの意味も持つその時のデータの叩き込みは身を削らんばかりに行った。F1プロレーサーとの華々しい恋愛〜事実婚はもちろん、現在の彼女の家族、生活、住まい(おフランスの城!)。好きなバカンス地、最近の仕事、近年彼女を撮影したカメラマンの言質まで。
どこにどう話がズレても必ず立て直せる自信があった。

何しろ10年ぶりの雪辱戦なのだ。武者震いさえも意識的に抑えて、洋画で見るようなフレンドリーでエレガントなインタビュアーの振る舞いを心がけた。

だがやはり、後藤久美子は只者ではなかった。
当然ながら10年前のエピソードは覚えていなかったが、私が美容記者として過剰な武装をしていたことはお見通しだったらしい。

彼女は言った。
「私が最も心地よい生活は、私がやるべきことを理解し、整理し、それを過不足なくやり遂げることよ」

私は呆気に取られた。
確かに「美しさは心の安定も大きく作用する」という話の流れではあったが、準備していたどの言語展開からもそれは外れていた。

優先順位は以下の通り。

A:まずは何よりも夫への愛

・西欧人の彼の心に届く愛の表現を惜しまぬこと。
・栄養士には敵わなくとも城で作る場合の(!)食事での栄養バランスに注意すること。ちなみに当時はお子さんのお弁当も作っていたらしい。
・「君はいつまでも美しい」と夫を満足させる(アスリートの妻たる)引き締まったボディ、肌、髪、ファッションへの注意と努力を怠らぬこと。

B:子供達が健やかに、しかし正しい社会性を学ぶこと。
・食事をなるべく家族全員で摂る。
・食事や生活のマナーは根気よく教える。
・いつ如何なる時も子供達を愛していると伝える。
・宿題が終わらなければ、共に学び終わらせる
・彼らの悩みごとはじっくりと聞く。

C:時差の関係で仕事のメールは夜10時以降にまとめてチェックし、可能な限り即レスする。
・生活のリズムや充実を損なわず、しかし自分にやれる仕事をスタッフと検討、吟味する。


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途中、彼女はふと不可解な笑みを見せた。
「美容の話としてはちょっと変に思うかもしれないわね。でもそれが私が私自身と向き合って一番しっくりきたスタイルなの」

しかしそれはあまりにストイック過ぎはしないか。

そんな私の問いに彼女は答えた。
「私だって完璧な人間じゃないわ。スポーツジムの前まで車で行って、でも“今日は気分が乗らない”と思ったら駐車もせずに引き返すこともあるのよ」

「いくら睡眠が大事だといっても眠れない日もあるわ。でもそれは“眠るほど脳が疲れてないのね”とベッドで身体を休める作業だと割り切ることにしているの」

私はこの部分にも驚いた。
ストイックな人間は過ぎた失敗を傷として引きずりやすい。
だが彼女のそれは根本的に違う。
ストイック とはまた違う何かなのだ。

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人生のプライオリティを最大限まで研ぎ澄まし決定する。それに従って日々の内容をチョイスし、全体を見晴るかす。

その知力を尽くした上でもバランスを崩す、または必要条件に届かない状況があれば躊躇なく己の判断を次のステップに移す。

同時に必要なら家族やスタッフの力を借り、必ず終了させる(彼女自身は自分以外に頼るのは、最後の手段としていたようだが)。
そのような的確な判断を繰り返し「満足と納得のひととき」を持続させること。

もちろん家族の愛、財力、生活をサポートする仕事の人々、芸能仕事のスタッフ。それらの支えなしでは難しいだろう。

だが私は直感したのだ。家族はともかくそれ以外の豪奢な余裕がなくても、後藤久美子が判断する人生の根本理念は変わらないだろうと。

特徴的なのは、彼女から「賞賛の渇望」を感じなかったことだ。
尤もあれほどの美貌に輝かしい足跡があれば賞賛に重きをおく必要もない人生だろう。
だがそれとは根本的に違う「私が最も心地よい」にのみ特化した潔いベクトルが鋭いビームのように、目の前に座る私を貫いた気がした。

「何が心地よいのか」を環境や固定観念に惑わされることなく、己の感覚で選び抜く精神力。
それには他者の賞賛は必要ではない。
とはいえ、その孤高で明晰な精神は、それを維持し続けるバイタリティも含め、誰もが簡単に持ちうるものではないだろう。

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私は2度目のインタビュー記事で書いた。「近年“自分をプロデュースする”という考えが女性に浸透している。だが後藤久美子はそこからもう一歩、人生の現場に足を踏み入れて指揮をとる“自分ディレクション能力”に長けている」と。

2017年現在、ネットで調べる限り後藤久美子の人生に大きな破綻はないように見える。
ちなみに2度目のインタビューはお子さんが生まれてはいたが、1人か2人だった気がする。

当時、今風に言えば半年後には本格的な妊活に入る予定を立てていたらしく、美容ブランドのオーナーに「私はこの仕事をとてもやりたい。しかし半年後以降は無理だから早く準備を整えて貰えないか」と連絡がきたらしいと噂で聞いていた。

それでほぼきっちり1年後にはベビー誕生の報を見たものだから「流石だ…」と呻いてしまった。あれも良い思い出である。

そしてこれも多分3人目の赤ちゃんが生まれてからだったと思うが2010年に発行されたフォト&エッセイ本『ゴクミ』の帯に桃井かおりが一文を寄せている。

「久美子はね、本当にミゴトな女なの」

この言葉の意味も本の中か他インタビューだかで補足されていて「後藤久美子は10代の頃から、桃井かおりも認める生き方の凄さがあった」という文意のことがあったと思う。

さもありなん。
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後藤久美子は女優としての仕事歴は決して多くない。タレントと呼ぶにも軽すぎる。
単純に近い世代として愛着と憧れはあるが、エンターテイナーとしての期待はしていない。

だが疑いなく現存する中で最も完成度が高く、高名な偶像(アイドル)だ。単にセレブと呼ぶのが相応しいかもしれない。

私は今、
「私にとって良い気分とは何か。
どのようなものをそう規定するのか」

を日々分析し、規定値をたてようとしている。まだ数日しか経っていないが、日中に高かれ低かれ気分が揺らぐ度、その様子を自分の中にデータとして刻みつけ、考えようと奮闘している。

正直この必要性と向き合う日々が無ければ、後藤久美子さんの記憶は忘れはしなかっただろうが、意識の表層に上がって来る可能性も低かったろう。

今でも彼女は言うだろうか。
私が最も心地よい生活は、私がやるべきことを理解し、整理し、それを過不足なくやり遂げることよ」

そこにはひとつの真実がある。
己を真正面から見据えて腹を括った人のみが発せる強さがある。

できれば彼女には、
その志をしなやかに長く
持ち続けて欲しいと願う。

ただの願いだ。10年後、20年後の彼女がどのような人生をおくっていたとしても、私は決して彼女を責めない。

ただ、遠い記憶から掘り起こされた光、
己を凄烈に見つめる美しい眼差しを
ひとつの輝ける記念品として
私の心に残すことを
赦されたいと願っている。