ソコソコ高値安定の良い気分とは何か。
どのようなものをそう規定するのか。
それを吟味し始めて数日経った。

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そして、それとは関係なく私の元にある人の訃報が届いた。元の仕事仲間。私のたった2歳上だった。

GW中の知らせだったため、通達は混乱を極めた。
私も含め、まず皆に走ったのは文字通り「言葉もない」動揺だった。数ヶ月前まで共に仕事をしていた仲間もいた。

何故、どうして。あの若さで。
その驚愕に震えながら、仲間内で比較的早く情報を得た私は、可能な限りスムーズに伝達できるだろうキーマン、そして第一線は退いたといえど知らせておかなければならない人たちに連絡を入れた。

私がいた業界はトップダウンで全てがまとまる形ではなく、多くの分野の人が集まって企画に最も良いチームを作り、終了すれば解散、を繰り返す形式である。
だがその中で緩やかな「信頼できるグループ」は存在する。その中で私は比較的広い繋がりを持っていた。

今現在、仕事をしているかどうかに関わらず、当時の絆は尊重されなければならない。それはおそらく誰にとっても大切な思い出であり、己を形作る歴史のひとつだ。

知らせを受けてから数時間、私はひたすらスマホとタブレットを駆使して連絡を入れ続けた。私の一存で知らせて良いかどうか悩める人々については、当時のリーダー格の人に相談を入れ、決定した。

当然、現在の故人に関わりの深いところには喪主から連絡がいっているだろう。
私がやらなければならなかったのは、思い出のよすがとして、後から知ることに悲しみを覚える可能性のある人に、葬儀への参加不参加はともかく「知らせる」ことだった。

私も故人とは一時期密接な仕事をしていたといえど、かれこれ5年は音信不通だったため、全てが終わってから知らされても「ああ…」と嘆息する以外に特に恨み言はない。
ただせめて葬儀が行われる日に故人を偲びたかったとは思うだろう。

ほんの小さな気持ちの問題だ。けれど擦り傷とはいえ、悲しみは、寂しさは、なるべく少ない方がいい。

私が早く知ることができたのは唯の偶然だが、自分が置かれるかもしれなかった寂しさを思い、出来る限りの連絡を取った。

それがひと段落ついた今、私は粛々と葬儀に参加する前にやるべき仕事や用事を整理している。

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亡くなった理由はいずれ知ることになるだろう。
だが無理に知る必要はない。
ただ彼の人が、いかに有能で人柄優しく、私にどれほど「また仕事をご一緒できたら嬉しい」と思わせたかを昨日のことのように思い出す場に行きたいだけだ。

私達にはすでに今の日々があり、人生がある。例え彼の人がご存命だったとしても二度と仕事はできなかったかもしれない。
事実、葬儀には懐かしい顔が集まるだろうが、皆それぞれの生活へと帰っていく。

それでも共に仕事をし、トラブルがあれば対処し、うまくいけば眼を見交わして喜んだ日々は幻のようだが幻ではない。
確かにそこにあった。

それを私は噛み締めに行く。

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今の気分は?

静かに、とても静かに、けれどさざめいている。

悲しいのも本当だ。
かつての仲間として出来うる限りの伝達を終えた達成感もある。
しかしそれを覆い隠すように、この歳になる以前も何度かあったが、人には必ず終わりが来ることを感じ入る日が、これからは増えるのだろうという予感に震えている。

自分のことはどうでもいい。
突然の事故でもない限り、その時は今の私が懸命に伝達したように、出来うる限りの準備はして、自分としてはスッキリと逝くだろう。
何しろ私のことだから。
しかも死そのものは、おそらく一瞬だ。

悲しむべきは残された人々が耐える辛さだ。唯の仕事仲間だった私ですらこうなのだ。ご遺族のお気持ちは計り知れない。

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子供の頃に出た葬式はさして感慨を持たなかった。圧倒的な哀しみの空気に呑まれて黙って立っているだけだった。

物事がわかる年齢になってから出る葬儀は胸を抉る。特に年若い人の場合は居た堪れない。
近親者ではないため「きっとあの人はこんな気持ちだったろう」と勝手な想像することさえ思わず憚られる。

ただその人が生き生きと私の傍にいた時間を思い出し、それがもう無い「軋み」を呑み込むのに苦労する。
彼の人がいないというのに、再び昇る太陽に不思議を覚える。

遠い関係とはいえ、彼の人がいなくなったことで私の人生は確かに変化したのなら、太陽の貌が三角に変化してもいいくらいではないか。

各人にとってどれほど酷でも、それが人生であり世界だ、と書物や記録は繰り返して私に教える。
好んで読む中世ヨーロッパの史書でもそれこそ怒涛のように人が死んでいく。その死の様子や意味が歴史に記される人はごく僅かだ。0.1%にも達するまい。

私は当然99.9%の者だ。
僭越に過ぎるだろうが、恐らくは先に旅立った知人たちも。

知識として知っているにも関わらず、そうやって進んでいく「世界」に私は慄く。

知ることと、感じることは
似ているようで違う。
雷に撃たれるように思い至らされるのが、やはりこんな時だ。

ただひたすら、故人に安らかな冥福のあらんことを心より祈る。