まずい状態である。
4月になってから「予定の30分前到着ミッション」の精度も成功率も著しく下がっている。
月前半は確かに歯痛による致し方なさがあったが、その後もタガが外れたように時間の抑制がきかない。
問題は「ミッション遂行を止める」という明確な意志なく瓦解している点である。
思い起こせば確か11月ごろから始めて約半年。元々自分の性格パターンからしてどこかで息抜きを入れないと、ミッション自体に飽きそうだとは思っていた。
その為、良き頃に「ミッション解除」のタームを作ろうという心づもりがあった。
その舵取りを経て、今「30分前到着」が二の次になっているなら問題はない。
だが、そうではない。
このコントロール不能状態は先行きとしても好ましくない。
さて、どうしたものか。
########
「時間を守ることに飽きる」という概念自体が一般日本社会に於いては悪い意味で稀だろう。
昭和44年生まれの私はゆとり世代ではないが、
「ストレス耐性が低い」
「自信満々だけれども実践に弱い」
「いつまでもお客様感覚」
「すぐに結果が出るものにしか興味がない」
などの批判は己の資質に照らし合わせると身につまされる。
知識と社会通念だけは昭和世代に基づいた真面目さを叩き込まれていると思う。
もしも「社会人としてこんな時どうする?クイズ」があったら、かなりモーレツ社員というか社蓄系の回答を思いつく自信はある。
だが、己を構成するオペレーションシステムの指向を直截に取り出すと、それは先述の「ゆとり」概念に近いルーズさがある。
(あくまで概念の話なので、実際の世代の行動や存在意義は別とする)
己の根底を為すモノがそうであることは幼い頃から自覚していたし、頭から否定はしなかったものの、長い間「厄介な資質を持ってしまった」と考えていた。
いや、今でもそう思っている。
特に時間にルーズであることは、育ちの悪さと直結しても語られる。
事実ではないと思っているし、不快ではあるが、それにいちいち反論する気はない。
ひとつの社会通念尺度であることは間違いないと、昭和的な私の知識では回答されるからだ。
例えば「約束をしたが、朝起きたらやっぱり気分が乗らないから出かけない」という判断はアリかナシか。
例えば「明日に用事が控えているのだが、それに合わせて前日の行動を調整することに反感を覚える」のは、バカか個性か。
どちらにも賛同者はいるだろう。また賛同の度合いの違い、条件つき賛同も多いだろう。
どちらにしても一個だけ明確なのは「共にナシ。ありえない」と選択できる資質が、日本の一般社会構成員として(専業主婦であろうとも)より望ましい、ということである。
そうでなければ日本の鉄道ダイヤは先ず組めないだろうし、物流も契約も滞る。
その真面目さが通念であるからこそ、簡単な約束事は書類無しでも拘束力を持つ。
それはとても美しい姿だと思う。
##########
美しさの裏にある面倒臭さや醜さも当然知っているが、それでも現在の日本社会の「真面目さ」は賞賛に値すると考える。
それを崩すことを、もし幸か不幸かの二択で答えねばならないとしたら「不幸だ」と返答する。
私は現在の己を取り巻く社会を、枝葉末節はともかく肯定している。だからそれにナチュラルに添えない自分のルーズな資質を、否定はしないが悲しく思う。
##########
だが逆説的に「悲しくは思うが否定はしない」からこそ「生きてゆく為の折り合い」を常に探している。
折り合い、という曖昧な概念が結論になるあたり私も根っからの日本社会人だとしみじみ思う。
ステレオタイプな西洋文化で解決策を探すと「私の正当性の証明論」の打ち立てに至るのかもしれないが、そこは端から放棄している。
社会的正当性は薄い。
ある意味、犯罪的資質を内包しているかもしれない後ろ暗い存在だ。
だが滅すべき者とは言い切れないだろう。
こちらを敵視し、強く攻撃してくる相手がいれば、力負けして個体が消えることはあるだろうが、存在自体が間違いと言われる筋合いはないはずだ。
せめて、共存したい。
その願いの具現の一手が「30分前到着ミッション」だった。それは実際に一定の効果をあげ、私が共存に足る自己統制能力を持つという評価の一端を成したはずだ。
だがそれはあくまで「手段」であり「パフォーマンス」であり「実験」だった。
私の持つルーズさ…良く言えば自由な視点、感応範囲の広さ…が緩やかな良き変化を起こすことは期待していたが、ベークライト樹脂液が硬化剤との化学変化で固まるような、その質自体を変える事態は期待していなかった。
事実、変わっていない。
だからこそ歯痛だの何だのの混乱に乗じて、私の中の何かが漏れ広がるようにして時間への拘束力を緩め始めた。
溜息をつきたい気分だ。
何度も書いて申し訳ないが、ルーズさが戻ったこと自体が問題なのではない。コントロールの破綻が「社会との共存」を妨げる問題なのだ。
それはこの半年のミッションが確立する予定だった「私の共存可能性」の幅を著しく狭めた。実に残念だ。
まあ元々「実験」だったのだからしょうがない。期待値には達さなかったが、最悪の値を検知する(一度も「30分前到着ミッション」が成功しない)こともなかった。
どちらかと言えば予想以上の値を出し続けたために精神力が持たず、コントロールの破綻が早く訪れたと見るべきかもしれない。
##########
どんな戦略に於いても、最も難しく最も重要なのは「撤退」であると聞く。
己の意図上でなかったのは本当に悔しいが、本日4月27日を持って「30分前到着ミッション」を一時凍結する。
実験結果として
「半年はもたないが、4〜5ヶ月であれば時間拘束を強くした生活に、私の精神は耐えられる」
「完全な30分前到着はおよそ5回に1回。残り4回のうち3回は15分前には着く。5分前が1回。遅刻がゼロではないが1回にカウントできるほどは起きない」
「思い返してみて、ミッションの切り上げを意図的に行うには3〜4ヶ月ならば確実と思われる」
「早く到着することには快感と利点があると体験し、確信した。なお、その心地を多くの思い出として保存できた」
以上の結論を回収した。
次の機会と必要な時に役立てよう。
これからも社会の中で生きていく限り、時間通りに到着することは重要だ。
しかしそれより上位に「精神的コンディションの調整」を置く方針にシフトする。
今、どんな気分か。なるべく良い気分でいられるにはどうしたら良いか。
環境的要因に加えて、自発的な要因も探ろう。例えば鏡の中の自分に褒め言葉をかけてみる、気分を落ち着かせてくれる音楽や文章に意図的に触れる、等。
それが叶った上で「今、何時だ?」と確認しよう。
気分が低迷しているならすすんで(早めに)予定をキャンセルする。理由づけのバリエーションも広げねば。
それらのキャンセル行動に一切、過去の枠組みに囚われた「罪の意識」は持たないようにしよう。
何しろ気分を守ることが第一だ。そう考えてみよう。これも実験の一部とする。
今度の優先事項は「悪くない気分の安定保持」だ。無理にピカピカと明るくする必要はない。それだと精神的燃費もかかるだろう。
イイ感じでソコソコ高値安定。
そんな「気分相場」を形成するには何をするべきか、もしくはしないべきか。
改めて「何をもって悪くない気分とするか?」の設定点も組まなければならないだろう。そのための基礎実験も必要だ。
そして「30分前到着ミッション」の前例を踏まえ、私の集中力を自主回収できる目安を「早ければ1ヶ月、長引いても3ヶ月」と仮定しよう。
(そうなると基礎実験は半月だろうか?)
ともかく、そこで一度結論を回収しよう。
夏の陽を浴びながら、私はどんな結論と向き合っているだろうか。
さようなら、時間のくびき。予定表の檻。
予定は予定として尊重するが、
同時にあくまで予定だ。
私の持つ時計は日時計と腹時計で充分かもしれない(笑)。
「30分前到着ミッション」のように座りの良い名称をつけたいものだ。
実験ではあるがミッションというより観察。そして「休養」も含む。何しろやっぱり「30分前到着」は正直、疲れた。
仮称だが「本日の気分相場!」とでもしておこうか。
##########
あまりに冴えない、後手にまわった戦術だったが、とりあえず「撤退」はこれで良しとしよう。
ありがとう「30分前到着ミッション」。
面白い体験を、させてもらったよ。