今日は正直な告解をする。
比較的最近、気がついたのだが
私は「勝負事」に飢えているらしい。
争いごとや戦争、暴力は決して好まない。
賭け事も似てはいるが、リアルの私を知るほぼ全ての人から「お前にそのセンスはないから、やめとけ」と厳命されているので手を出さない。
私の言う「勝負」は、仕事でも夢への挑戦でも、互いが(もしくは周囲に対して)知力、体力、時の運を根こそぎ使い、自分を燃やしてぶつかり合う様を指す。
「余計な心配は全て捨て去って、目的にひた走る」鮮やかな疾走感。
力の出しどころ、抜きどころも含めて「有らん限りの能力を研ぎ澄ませる」充実感。
それらの感覚が私を呼んでいる。
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勿論、勝負の結果の失敗や敗北には必ず心を削られる。とても痛い。実際に泣いて悔しがるし、子供のように菓子をボリボリ食べつつ愚痴りまくることもある。
なのに「次の戦いはどうする?」と己に尋ねると「負けたまんまでいられないでしょ!次行くよ!」的な答えが返ってくる。
要するに今の私の芯は、更年期も鬱も己の愚かさもひっくるめて「人生まだまだ諦めちゃいない」らしい。
自分でもびっくりだ。
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随分と厳しい選択ではあるまいか、と私の別の一部分は思う。余生を思い定めた今、何も好き好んでそんな茨の道を選ばなくても良かろうに。
だが過去に鬱でドン底を感じながらも、決して自死を選ばなかった(限りなく危なかったけれども)理由がわかった気がする。
「おかしいな! どういうわけだか、これっぽっちも人生に負ける気がしねぇ!」
幸福が全て飛び去った後、私のパンドラの匣に残っていたのはそんな声だった。
不安、悲しみ、恐怖、恐れをひとつひとつ取り除いていったら、コレが残った。
何の根拠もなく、小さな光がブルブルと震えながら叫び続けていた。幼稚な想いかもしれぬ。しかし嘘はついていなかった。
もしかして私は真性の馬鹿だったのか。
だが「ありのまま」を突き詰めた「私」の声がそう言うならば、大人の私としてはしぶしぶだが付き合ってやろう。
気に入らない試合なら駿足で逃げる狡猾さも含め、勝負の準備は整った。
出でよ、人生の荒波。
荒れ狂い、吹きつけろ。
そして私の魂を磨きぬいてゆけ。