人は選択に対する判断を迫られたとき、

二つの要因から導き出します。


それは、「理論」「感覚」です。頭と心。


そのバランスは人によってまちまちで、

ロジカルタイプとフィーリングタイプに分かれます。


私はどちらかと言うとフィーリングタイプでして、

選択に対する判断は、感覚的なモノにウエイトを置くケースが多いです。


“論理的判断”と言うのは、

「リスク・リターン」であったり

「メリット・デメリット」であったりを、

過去の経験や常識などから評価判定して決定すること。


世の中には確かに秩序が存在するので、

効率的な決め、確率的な決め、ってのは十分に必要な判断基準だと思います。


一方、“感覚的判断”と言うのは、

具体的な根拠が存在し得ないケースが多いので、

反射的、勢い、といったところにウエイトがのっかってくるでしょう。



どちらの判断思考が良いか


おそらくそれは時と場合によるので、良し悪しはつけられない。

自身がどちらの思考タイプなのか、

それは育ってきた環境によって形成されることでしょう。


そんな中、先日お世話になっている方からこんな言葉をいただきました。



直感とは、自身の経験から算出される能力であり、

その能力形成の過程には、論理的な思考回路を辿っているはず。

つまり直感とは、論理的道筋を近道しているイメージ

なので論理的思考を鍛えることで、直感の精度が高まるのでは。



確かに自分は「直感的感覚」を判断基準としてウエイトを置いてますが、

“なんとなく”というほどなげやりな選択をしていない自負はあります。


行動には必ず結果が伴い、

“なぜその選択を選んだのか”

“なぜこの結果が出たのか”

という点をしっかりとフィードバックして蓄積する。


経験(結果)の蓄積は必ず未来に起こりうる選択肢の判断基準になる。


つまり多くの経験蓄積があることによって、

「論理的判断」のスピードを速める。

一定のスピードを超えることによって、

それが「感覚的判断」という領域に達するということでしょう。



まぁそうとは言えど、

自分の「感覚的判断」はその領域ではない気もします。


感覚的であろうと論理的であろうと、

結果に対するフィードバックをしっかりと行い、

如何にして「自己経験」を積み重ねていけるか。


過ぎ去ることなく

積み重ねていけるように


「判断のスピード」が「人生の優位性」に大きく影響しますから、


行動⇒結果⇒分析⇒改善


のスパイラルをどんどん回して大きくなっていきたいのもですね。

理想を追いかける人間はダサイですか?

諦めの悪い人間は格好悪いでしょうか?


自分の“在るべき姿”を追求し続けてもいいものなのでしょうか?


…なんて書いてはみたものの、

どれだけ否定されようが

どれだけバカにされようが

自分は自分の理想に向かって突き進む覚悟はできています。


俺はそんな頭の良くない人間です。素直に認めます。


それでも俺は、次世代の若者が

夢や希望に溢れて活きる世の中をつくりたいと想ってます。


“まずは自分から”


今年一年は特に自己追求にこだわりたい。


人間には限界が必ず存在するわけで、

自分の内側にないことを世の中に発信できるとは到底思えない。


まずは自分が泥水すすってもがくこと

まずは自分が常識を疑って挑戦すること

まずは自分が「はたらく」を楽しむこと


まずは自分から。まずは自分から。


私利私欲の期間を一刻も早く終わらせて、

見返りを求めずに誰かのために活きていきたい。



“次世代の若者が夢や希望に溢れる世の中に”


そんな世の中にするために何が必要かっていっつも考えてて、

「夢の見出し方」は少しばかり理解している自負があります。


もともと23歳まで夢なんてなかった自分が

今はやりたいこと山盛りでワクワク活きていられてる☆


自分が実際に夢を見つけたので、

その経験を噛み砕いて活用する。

そして相手の潜在意識を引き出すトークなんかも、

なりに書籍やセミナーなんかでパクりにパクってる。


ただただ、それだけではあかんって思ったんです。


たとえ夢が見つかったとしても、

「自分には叶えられないだろう」

「夢追いたいけど金銭的不安が」

っていう不安までをも払拭しなくてはいけないと。


つまり自分が最近想ったのは、


《夢と経済はリンクするもの》


ということです。

すべてがすべてリンクするとは言い切れませんが、

多くの若者が「将来不安」によって

自分の可能性や希望に蓋をしているんではないかって。


見方によっては甘いのかもしれませんが、

「夢以外で生活費を賄えるライフスタイル」

を形成できれば、経済不安を取り除けるのではないかと考えているわけです。


自分は現在、フリーランスとして仕事をさせていただいております。

そして「資産運用」というものをしっかりと活用すれば、

あながち「経済不安を軽減する活き方」はつくり得ると考えてます。


なので、まずは自分自身が「個人」として経済的自立を成し遂げてみせる。

「自分の経験」は必ずアウトプットできるものである。


夢ややりたいことを見出すキッカケをつくり

そこにコミットして追いかけられるだけの経済的自立支援をかませられれば


きっと夢やら希望に溢れた若者は増えると思うし、

それが更なる次世代に引き継がれていけばええなぁって☆



常識的に捉えられれば「そんなの理想論止まり」って言われるんかもしれんけど、

現代は間違いなく国や会社が個人を守ってくれる時代ではありません。


自身そして自身の大切な人たちを守れるのは自分のみ。

そういった社会、働き方がメジャーになっていくように自分は感じてます。



“たった一度きりの人生 理想論で活きてみたい”



その気持ちを抱いてから早2年。

うまくいかないことも多くありますが、

理想を目指すからこそ程よい負荷がかかり、

しっかりとした地力が付いていく。


あと5年しかない20代を

理想論求めて突き進む覚悟。


そして20代のうちに“今描く理想像”には到達してやりたい。


必ず、理想を現実にしてみせます。




『山の先には更なる山』


未来に迎える「山頂からの景色」に心躍らせて、

目先の困難や苦労にも取り掛かれるってもんで。


やっとこ山に登ってみたもんにゃあ

向こうには更に高い山があり、

またその山の山頂からの景色は是非とも見たいなぁと思える。


そんなことの繰り返しが『人生』ってもんなんかなぁとふと思った。


今この登りつめた山頂からの景色もそりゃステキなもので、

死ぬまでこの景色を見続けるってのも幸せなのかもなって。



『満足』ができれば

『満足』をしてしまったら



結果的に自分は、

現状に満足せず上を求め続けたい人種ですが、今の状況でもそれなりに

時間もお金も仲間も手に入れて

なんら「生きていくため」に必要な最低限は整った。


仮に今『満足』をしたならば、

あえて辛いことや面倒臭いことも少なくて済むだろうに。



…なんて、少し思ってみたりもしてみたり。



『次世代の若者が「希望」「可能性」「夢」の抱ける社会をつくる』



そんな自分の使命を掲げて早2年。


今の時代でも抱ける人は抱けるが、

「社会の雰囲気」ってのが多くの可能性に諦めを催す。


「社会の雰囲気」を変えてやりたいなんて思ったりもするし、

直接的に誰かの未来の光を見出すような関わり方をするのもいい。


『教育』をテーマとして自分は事業をやっていきたいんだが、

まだまだビジネスとしての構想や組み立てに不十分だなぁ。


今強烈に事業を組み立てる材料をかき集めている。

「材料」ってのは「経験」です。

事業展開のノウハウとやらを書籍で読んだってたかが知れてる。

己の「感情・思考・行動」を駆使して“生”で感じ取っていきたい。



あれもこれもって感じ。悪戦苦闘。でも仕事は順調。


「現実」より「理想」の方がどんどん成長していくもんだから、

なんとかして「現実」の方がスピードを増さないと

いつまで経っても理想にたどり着かないですね。



今年は自分の「収入」にこだわりをもっていきます。

ただ、数字ばかり見て人を見れなくはならないように。


“たった一度の人生やから”


特にこの20代は走り続けます。