ふつう、カウンセリングにいくと心がいくらか楽になるものであるはずなのだが、自分はカウンセリングというものは苦手である。
まず、密閉された個室に信頼できない第三者と対面して座って話すということに、なんともいえない圧迫感を感じてしまう。これはカウンセリングに限らず、就職などの面接で感じるところである。
次に、相手の質問の意図が見えないということである。カウンセリングにいくと、「そんなことまで聞いてどうするつもりなのだ」と思わされる質問までされる。例えば、ストレス解消のためなにをしているのか、と質問され、煙草を吸っているという答えをすると、さらにいつから吸っているのか?一日何本吸うのか?という質問まで飛んでくる。詳細に知る必要があるのだろうが、なぜそんなことを聞くのか。依存度を確かめるという意味では必要な情報かもしれないが、ここは禁煙外来ではない。
そして、一番困るのは、こういった質問である。すなわち、「これから自分どうなりたいのか」、「自分は治るためになにができるのか」といった、未来への展望やそれに向かってのことを聞くものである。
精神的に健全な人間がそのようなことを聞かれてもなかなか答えを見出しにくい質問であるのに、自らの抱える不安に対面するだけでいっぱいの自分にそんなことを聞かれても不安が大きくなるのを助長するだけなのだ。そういったことを何個か連続して聞かれると、あたかも考えもなしにのうのうと生きている自分を批判される心持ちになり、その場から逃げたくなってしまう。
そして、自分の未来に対しての閉塞感がより募り不安が大きくなってしまったところで制限時間となってしまう。これでは何のために来たのかわからなくなる。
焦りと不安でいっぱいになり、外に放り出され右も左も分からない状態で帰路につかねばならない。
カウンセリングというものはどうも苦手だ。